野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

野村誠の現在地

里村さんが仕事が休みで、お出かけしたり話したり。自分のこれまでを振り返り、今後の方向づけをするために、漠然と感じていることを少しずつ言語化している。まだまだ、なかなか言葉にならないけど、すごく前向きになっているし、やる気になっている。少しずつ確信も持てるようになっている。それを以下、なんとか言葉にしてみる。

 

(1)価値の転覆

ぼくは活動を始めるにあたり、産業としての音楽ビジネスに組み込まれていくことに違和感を覚えた一方、大学という音楽アカデミズムの中で研ぎ澄まされている現代音楽にも違和感を覚えたので、音楽産業とも音楽アカデミズムとも距離を置き、そのカウンターとして、徹底したアマチュアリズムで対抗した。プロの音楽家が生み出す商品をアマチュアが消費するのではなく、アマチュアこそが新しい音楽を産み出すと思った。大学で研究される現代音楽をありがたく学ぶのではなく、アマチュアこそが大学では到達し得ない領域に達するのだと思った。アマチュアによる革命を起こすのだ。音楽産業や音楽アカデミズムと一線を画するオルタナティブな音楽創造をしていこう、と始めた。アマチュア楽家として象徴的な楽器として、鍵盤ハーモニカという正統な楽器と見なされない楽器を手に、価値の転覆を起こそうとした。

 

(2)二項対立ではない

当初の発想は革命であり転覆だったので、今ある価値観を反転させようとした。「プロよりもアマが素晴らしい」、「西洋よりも東洋が素晴らしい」「大人よりも子どもが素晴らしい」、「健常者よりも障害者が素晴らしい」などだ。それは、既にある価値観を前提としたカウンターで、無鉄砲な若者は、そうやってはっきり敵をつくり、それに抗うことで自分の立ち位置を正当化していた。しかし、世界はそんなに単純に二分化されるものではない。大人に全く毒されていない子どもなんていない。西洋の影響を全く受けていない東洋はない。純度100%の子どもなんて実在しないのだ。ぼく自身、比較的子ども性を高く持っている大人である。ぼくは敵対する価値や権威の中に、自分自身も存在していることを薄々感じていながら、自分のことは棚上げし、「革命」や「転覆」は、「共存」や「多様性」などの言葉に置き換えて活動を続けた。細やかなネットワークを作ったり、小さな集いをつくることで、少しだけ手応えを感じつつも、厳然と存在する強固な旧いヒエラルキーやシステムに違和感を覚え続けてきた。

 

(3)自分の中の保守

そんな中で、2014年に日本センチュリー交響楽団のコミュニティ・プログラム・ディレクターに就任する。自分が最も保守的と思っていたクラシック音楽のオーケストラという西洋の19世紀を踏襲した組織と関わることになり、革命や転覆でいいのか、本気で向き合うことになる。徹頭徹尾オーケストラをぶち壊さなければ意味がない、と意気込む気持ちもある。でも、そうすると保守的な反発と対峙し、無益な衝突と摩擦ばかりが生じるだろうが、結局、何も変えないのではないか?と思った。仮にヒエラルキーを転覆させることができたとしても、また新しい価値観のヒエラルキーができあがるだけだ。そうではなく、ピラミッドを少しずつずらしていきながら、どんどんなだらかにしていくようなことって、できないのだろうか?

ぼくは、まず自分自身の中にもオーケストラ性があるはずだと考え、自分自身を率先してオーケストラと同化させていった。ぼく自身が、オーケストラの保守性を内包した存在だと自覚した上で、オーケストラと化した野村誠を変容させていくことをしようと思った。ぼくは、保守的だと思ったオーケストラを全肯定し、少々無理をしてオーケストラになろうと接近し、ハイドンに出会う。

 

(4)ハイドンになる

ぼくにとって、ハイドンは最も興味がない作曲家だった。貴族に雇われて、古風な古典派の教科書のようなつまらない交響曲弦楽四重奏を量産しただけの人物、と思っていた。でも、ハイドンの有名でもない交響曲の面白くなさそうな楽譜を分析してみたら、考えが変わった。金太郎飴のような何の変哲もない山ほどの交響曲の中に、密やかな「遊び」や「実験」が無数に盛り込まれていることに気づいたからだ。それは、子どもがデタラメに楽器を奏でている中に、「遊び」や「実験」が無数に盛り込まれているのと同じだと思った。子どもの悪戯に音楽の未来を見れる野村誠が、どうしてハイドンの駄作の中にある音楽の未来を無視していいのだろう?ぼくは大いに反省し、ハイドンになろうとした。

 

(5)脱力と作曲

オーケストラに取り組み始めた同時期に、相撲というこれまた伝統的/保守的な文化にのめり込むことになった。国技だ、神事だと言われるものは、実は長い歴史の中で時の権力者に迎合しながら変容して多層的になっていることを知り、この聖俗混在し、保守的かつ革新的という相矛盾する両極を内包する相撲に、自分が解けない問いの答えを求めて、相撲を多角的に見つめて(聞いて)いくことになる。伝説の力士双葉山の身体から、究極の脱力のことを考えていく中、脱力というのは身体だけではなく、思考でも脱力できるべきと考えるようになった。そして、作曲という行為で脱力をしていくとは、どういうことかと考え、100曲以上の交響曲を書いたハイドンこそ、脱力して作曲していたのではと考えた。ぼくは力作を書くことをやめ、今まで書いたこともないほど多くの作曲に次々に取り組んだ。これだけ多産にすることで、力みをなくし、脱力して作曲できるように自分自身を追い込むつもりだった。次々に譜面を書き続け、ハイドンになり、オーケストラになろうとし、以前よりは脱力して譜面を書くようになった。

 

(6)矛盾と向き合う

オーケストラは一つの例で、それ以外にも数多くの共同作曲やコラボレーションを繰り返し、ぼくは自分の中に様々な他者を吸収し、野村誠という存在は、ますます相矛盾する存在になっていくと感じた。保守性と革新性を同居させ、というか、そもそも二項対立のようなシンプルな言葉では割り切れない多様性を、自分の中に感じる。言葉で「多様性の共存」などと言うのは簡単だけど、自分のアイデンティティを多様化させて多重人格になっていけば、人格は破綻しかねない。それは、こんがらがった複雑な知恵の輪のような、解けない方程式のような、決して片付けることなど不可能なカオスな倉庫のような、そんな自分自身を前にして呆然としながら、脱力して次々に作品を発表し続けた。

もう一歩、踏み込みたい。この混沌とした自分自身(=世界)に向き合い、今の世界が抱えている矛盾を、「矛盾」という言葉で片づけないで、衝突や転覆させずに、どう解いていけるのか、その糸口を丁寧に紐解いていくのだ。自分の直感を信じて取り組みながら、本当にそれでいいのかを独りよがりにならずに、共有していきたい。暴力や戦争やハラスメントや所得格差や、、、、神様か天才が出現して解決してくれーーって、すがりたくなるけど、アマチュア主義から出発して価値を転覆するんだ、と活動してきた野村誠が何言うねん!非力な微力な凡人に変えられる世界があるんだーー、と諦めずに生きていくんだ。言ってること論理破綻してるけど、でも、いいのだ。そこをグルグル巡りながら、世界を変えてやるんだーー、という意気込みを忘れずに、自分に向き合って音楽を掘り下げてやるぞーーー、と覚悟が持てた。