野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

肥後の琵琶師 近世から近代への変遷/天吹/遊び場について

安田宗生『肥後の琵琶師 近世から近代への変遷』(三弥井書店)読了。肥後琵琶を始めて、もうすぐ2ヶ月になる。熊本大学名誉教授の安田宗生先生がまとめられた本は、肥後琵琶について大枠をつかむのに、とても良い本だった。近代の肥後琵琶は、筑前琵琶の影響も受けているが、熊本出身で九州を中心に全国で活躍した講談師の美當一調(1847-1928)の軍談に影響を受けているとのこと。美當一調のwikipediaを見ると、「肥後琵琶の形式を講談に取り入れた」とあるので、肥後琵琶が美當一調に影響し、美當一調が肥後琵琶の山鹿良之さんに影響した、ということか。美當一調の音源も入手して聴いてみたいと思った。

books.google.co.jp

 

熊本に住んでいて、九州で色々リサーチしたいと思っているところから、肥後琵琶に出会った。盲僧が演奏する琵琶から連想するのは、虚無僧が演奏する尺八である。九州における尺八ってどうなんだろう、と思ったら、薩摩に伝わる天吹という尺八に似た楽器の存在を知った。

 

明治になると郷中教育を受け継いだ「学舎」の青少年を中心に琵琶・天吹をかじらない者はいないというぐらい盛んでしたが、明治30年ごろ、勉強の妨げになるとして禁止令が出されことをきっかけにして一気に衰微し

 

とのこと。勉強の妨げになるほど熱中し禁じられた天吹、一方で明治に全国に広がった薩摩琵琶の対照的なこと。天吹のことも、もっと知りたくなった。

tenpuku.net

 

里村さんが休みなので、スイーツを食べたり、話を聞いてもらったりもした。誤解を恐れずに書くと、「学び」という洗脳に毒される前の子どもの「遊び」性に基づく芸術音楽の解体=創造の場を作りたい、という欲望がある。子どもがいる場所の多くは、教育の場であることが多く、子どもたちの中で「遊び」が貧困化しているのではないか、という勝手な危機感もなくはなく、そして、ぼくは「遊び」が大好物なので、そうした「遊び場」を作りたいと願っている。それは、ぼくにとって渇望する場であり、そうした場を必要とする人もいるであろうと思う(『だじゃれ音楽研究会』は、その好例だと思う)。それを熊本で作れないか、そのためにどうすればいいのか、について考えている。それと、資本主義をどう卒業するかと、自分がどういう生き方をするかは、連関してくると思うので、その辺が絡まり合って分からなくなりそうなので、そのことを日々考えている。肥後琵琶弾きは旅芸人ではあるので、旅芸人のことも考える日々であり、と同時に、遊び場をつくる=場所を開く、ことについても考えている。少しずつ、言葉にしていき整理したい。