野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

将棋のドラフトを見てオーケストラのこと考えた

日本センチュリー交響楽団からハイドンホルストのスコアが届く。5月に開催される予定の「ハイドン大學」の講師をするため。この「ハイドン大學」という企画名を入力する度に、音楽の楽で「ハイドン大楽」でもいいかもとか、驚愕の愕で「ハイドン大愕」でもいいかもとか、思いつつ、どちらも見た目がイマイチ。また、このイベントが本当に開催されるのか、オンライン配信になるのか、延期になるのか、全く予想がつかないけれども、また、ハイドンを題材に新曲を作曲しようと思う。既に、以前の「ハイドン大學」の時に、「ハイドン盆栽」を1番ー6番まで作曲したので、今回、第7番以降、小品をたくさん作曲しようと思う。

 

里村真理さんが執筆で関わっていた「地域アートはどこにある?」(堀之内出版)ができあがったようで我が家に届く。藤浩志さんの自伝的小説、展覧会「ウソから出た、まこと」のドキュメント、このテーマでのいくつかの対談、短いエッセイなどから構成されている。思ったよりも文字が多い本だったので、またこの本を読んで議論をしてみるのも面白そうだと思った。

 

Abema TVが、「将棋のドラフト」という意味不明な番組をやっていて、気になっていたので見た。先日、オーケストラがニコニコ動画で配信をしたり、大相撲がAbema TVで無観客場所を配信したりしていたが、将棋の中継を近年Abema TVなどネット配信をよくしている。オーケストラというと、ラジオ局が母体だったり、新聞社が母体だったり、自治体が母体だったりすることが多いが、日本将棋連盟は、長年ずっと新聞社と契約して、新聞社をメインのスポンサーとして活動してきた。それが、近年になって、雑誌や新聞よりもインターネットがメディアとして頭角を表してきた。そして、純粋な将棋とは全然違うネット番組ならではの企画で、本来個人競技である将棋を団体戦にして、チームメイトをドラフトで選ぶ、という奇天烈な企画をやっていた。

 

これが、実に面白かったのだ。90分番組で、ただただ、チームメイトを誰にするかを、指名して、重なったらくじを引く、というだけの番組。この中で、一切、将棋はしない。しかし、ここで、誰を指名するかに、それぞれの棋士の志向する将棋観や美意識が反映される。こんな企画を通して、観客たちが難解な将棋を理解していく入り口に立てたりする。

 

オーケストラのコンサートを、コンサートのままじっくり聴かせることも、もちろん大切。と同時に、伝統的な将棋の世界でさえ、こんな斬新な切り口でネット配信番組の実験をしているのだから、オーケストラで、こんなのあり?と思えるような切り口で、アプローチしてもいいのでは、と思う。いろいろ探ってみたいなぁ。

 

昨日に続いて、ヒンデミットの1930年前後の「実用音楽」について、文献を読んだり考えたりしている。というのも、音楽に参加するとはどういうことか、について、クラシック音楽の作曲家として、90年も前に自覚的であったヒンデミットの立ち位置は、今、日本センチュリー交響楽団が今後の活動をどう考えるべきか、という時に、大いに参考になると思われるから。例えば、中村仁さんの以下の論文の中にこのようなところがあった。

 

http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/36014/rgs021-06-nakamura.pdf?fbclid=IwAR1Yh57XoZtyfzROenmbQcE2EWnNiJKpR344AqAyENg5StSIPgQo57YbADo

 

19303月、アメリカの高名な音楽支援者エリザベス・クーリッジからの作品依頼に対して、ヒンデミットは次のような返信を書いている。「私はここ数年、コンサート音楽Konzertmusikからほぼ完全に離れていまして、ほとんど例外なく教育的ないし社会的な傾向を持った音楽だけを書いてきました。愛好家、子供たち、ラジオ放送、機械楽器などのための音楽です。私はこうした種類の作曲が、コンサートを目的としたものよりも重要であると思っております。なぜならコンサート音楽は音楽家にとってほとんど技術的な課題でしかなく、音楽の更なる発展になんら寄与しないからです。Rexroth 1982: 147-148

 

ヒンデミットのこの時代の言説や音楽について、また、同じ頃のソ連での社会主義リアリズムについても、そして、退廃芸術や形式主義についても、もう少しいろいろ考えて自分なりに整理してみたい。世界恐慌の頃、世界がどんどんおかしくなっていく中で、芸術の自由な表現と規制と公共性や社会性などなどは、もう一度、歴史から学びなおしたい。21世紀は同じ過ちを繰り返すための時代ではない。20世紀の様々な失敗や試行錯誤を踏まえて、別の道を選択することができる新しい時代にしたい。それにしてもヒンデミットって、ぼくにとっては、非常に謎が多い作曲家だなぁ。