野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

戸島美喜夫先生へ

久しぶりに九州を出て、本州に移動。これから、3週間ほど本州での生活になる。京都駅で降りると、モワっとした熱気。あっ、熊本も暑いと思っていたが、京都の暑さの不快度は群を抜いている。タクシーの運転手さんが、ワクチン2回摂取したけど全然なんともなかったとか、祇園祭は今年は巡行はないけど鉾は出したとか、色々話してくれる。

 

写真家の草本利枝さんと合流し、草本宅から徒歩数分にある野田智子さんのオフィスに数分滞在し、鳥取のたみから一時的に京都に来ていた新井優希さんとも一瞬遭遇して後、タクシーで大徳寺に向かう。普段は非公開の大光院のお庭に入ると、猛暑なのに、急にひんやりと涼しい。お抹茶とお菓子をいただき、庭を楽しんで後、山本亜美さんのコンサートが始まる。

 

今日のコンサートは、不思議な縁で行われた企画だ。そもそも、25絃箏という楽器を考案した野坂恵子先生が2年前に亡くなられた。亜美さんは野坂先生から、作曲家の戸島美喜夫先生を紹介され、戸島先生に出会う。戸島先生とお話された際に、戸島先生が野村誠を知っているか、と何度も、野村誠の話をされたそうで、戸島先生のお宅で、亜美さんのホームコンサートを行う計画が持ち上がり、そこにぼくは招待される。しかし、戸島先生の体調が悪化し、中止になり、昨年、戸島先生が亡くなられる。そして、戸島先生の追悼曲として、《世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ》を作曲した。今日は、戸島先生の作品、沢田穣治さんの作品、そして、ぼくの曲が演奏された。

 

昨年の今頃に作曲した音楽。世界初演の演奏は、YouTubeに公開されている。

 

www.youtube.com

今日の演奏は、お寺で外気が入ってくる空間で、扇風機がまわり、セミが鳴き、カラスが鳴く、そんな環境で行われた。おおたか静流さんからお借りしているというお面も、よかった(そもそも、譜面に、お面をつける、と書いた箇所がある)。

 

お面をつけて、でんでん太鼓を鳴らしながら楽器に触れる行為は、戸島先生の魂や、様々な魂を楽器の中に注入しているかのように感じられた。そして、それをやった後に弾いている楽器の音色は、同じ楽器なのに、やはり何かが憑依した違った音に感じられるのは、思い込みだろうか。最後に美しい動きと響きに、ああ、これは25絃でしかできない世界だなぁ、と改めて感じた。

 

終演後に少人数でのディスタンス打ち上げの際に、いろいろな亜美さんの関係者の方とお話をした。プログレのキーボードの深町純さんのマネージャーさんから深町さんのエピソードをいろいろ聞いたり、ダムタイプ古橋悌二さんのお兄さんから、悌二さんのお話を聞いたり。

 

草本さんと岡本さんのお宅に戻ると、鈴木潤さん、イウィンさん、佐久間新さんがインドネシアとのリモート交流プロジェクトの映像を見ていた。