野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

棚田の音楽とダンス/オリンピックの開会式を見て

草本利枝さんと岡本晃明さんと、豊能町牧の棚田へ行く。草本さんの美味しいサンドイッチには、ミントやバジルやアボカドがはさまっている。豊能町在住の佐久間新さんと合流。古谷さんご一家との交流を経て、撮影。棚田の風景の中で、ケンハモを吹き、佐久間さんが踊り、カエルが反応する。ジャカルタのダンスフェスティバルに参加を計画中。

 

養鶏場の卵食べ放題で卵かけご飯を楽しみ、京都に戻る。鈴木潤さん、鈴木歩さんが訪ねてきて、色々語り合う。

 

新聞記者の岡本さんは、オリンピックの開会式を見るのも仕事の一環。だから、一緒に開会式を見た。なかなかオリンピックの開会式など見ることがなかったが、こうして、みんなでツッコミながら見るのが面白い。途中から、里村真理さんもリモート参加。

 

今日、オリンピックの開幕式を見て、パフォーマンス自体にあまり魅力や面白みを感じなかった。しかし、コロナに配慮していることをアピールしたり、「多様性」に配慮しているポーズがあったり、パンデミックの状況下でスポーツによる連帯が必要であると訴えたりしていることが、印象的だった。なんだか、言い訳しているように聞こえた。思う存分、オリンピックを楽しもうというよりは、オリンピックをやる理由を、一生懸命探しているように聞こえた。自分たちに言い聞かせて納得しようとしているように聞こえた。なんとか正当な理由を探し主張しているように感じた。そう言われれば言われるほど、言い訳に聞こえて、ぼくの耳にはその理由が空虚に響いた。色々、ちぐはぐだったり、痛々しかったりするように感じた。それは、現代の日本社会を端的に表しているようにすら感じた。

 

でも、これはオリンピックに限らず、アートも同じだ。実質が伴わないのに多様性をおまじないのようにうたって、全然内容が伴わないアートや芸術祭なんて、面白くない。アートの意義や存在理由を訴える前に、自分がやりたいアートって何か、何を信じられて、何をやりきれるのかを問いたい。潤さんが帰り際に、ちゃんと音楽しようと思う、というようなことを言ったのが印象的だった。ぼくも、この開会式に感じた様々な違和感を反面教師に、音楽をしていきたいと思った。眠いので、これ以上、うまく言えないので、この続きは、また今度。