野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

箏奏者、水谷隆子さん

アメリカ在住の箏奏者の水谷隆子さんが、亡くなられたとのことです。癌だったとか。

「りす」という箏曲は、1999年〜2000年にかけての彼女のアメリカ研修のために作曲した曲で、彼女と毎月1回、手紙で文通をしながら、作曲を進めるということで、作った曲です。
「初演の予定とか特にないのですが、アメリカにいる間、野村さんの音楽とじっくり過ごしてみたい」
というような内容が、新曲委嘱の理由だったので、だったら、と思って、すぐに曲を完成させずに、ちょっとずつ色んなアイディアを送って、回り道しながら作曲して、1年間の文通のやりとりの最後に曲ができる、というプロセスを踏んだのです。

彼女との当時の手紙のやりとりを読み返しました。ぼくも、本当に、すぐに曲を完成させずに、色んなことを試しています。それに、彼女も付き合ってくれている。ぼくが書いた短いモチーフを、公園でりすに聴かせて欲しい、と頼んだら、それもやってくれて、録音と手紙でレポートがくる。

やっと出てきたりすくんは、10m程離れた所で、気がつかないふりをしながら、それでもたまに高い音がでると、食べるのをやめ立ち上がってじっと様子を伺っていました。彼?彼女?は、木の実を捜しながらゆっくりと野原を横断してゆきました。名残惜しそうに?(中略)その時、りすの秘密を発見しました。それぞれ食べ物の秘密の隠し場所を持っていて、そこにためているみたいです。たまにそれを地面の中に移し変えたりして、土をかぶせて上からたたいている様子は、人間のようでした。

そうやって、彼女が生きていた時間をタイムカプセルのように封じ込めた音楽が、「りす」という曲で、ぼくは、20年とか経った時に、もちろん他の色んな人も演奏するけど、彼女がどういう気持ちでこの曲を演奏するのかを、楽しみに作曲したのです。だって、音楽の中に、彼女の体験や思い出を思いっきり入れた曲なんです。

20年後、どんなふうに思いだせるのかなぁ、楽しみです。こんな事が思いつくなんて、野村さんは素敵な人だなぁと思います。

と書いた彼女が、2020年にこの曲を演奏することは、かなわない夢になってしまいました。でも、彼女の手紙を読み返してみて、彼女との手紙のやりとりの中で生きている水谷隆子を、ぼくは音楽に書きたい、と思いました。同じ名古屋出身でもあり、同世代でもあり、ぼくとしても、本当に応援している音楽家の一人、水谷隆子さん。安らかにお眠りください。