野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

自作について語るレクチャーをした。代々木上原のマザーアース株式会社で。

レクチャーをしてみて、97年に筝の作品を初めて書いて、その後、毎年のように筝の作品を書いていて、来年は、野村誠の筝作曲生活10周年なんだな、と気づいた。来年は、筝10年を記念して、何かやりたいなぁ。

ぼくが筝の音楽をこうしてたくさん書いているのは、たくさんの筝演奏家に教わった部分が大きいです。

まず、日原史絵さん。彼女が芸大の学生時代だった97年ごろ、谷中のぼくのアパートの近所に住んでいたので、筝に関して、色々教えてもらいました。特に彼女は山田流だったので、中能島欣一さんの演奏などをいっぱい聴かせてもらったりして、随分、勉強になりました。

続いて、竹澤悦子さん。98年のアサヒビール野村誠作品を初演をしてもらい、また、その後、一緒にライブをしたり、老人ホームでお年寄りとの共同作曲で筝の可能性を探求しました。また、彼女は沢井忠夫さんのお弟子さんだったので、沢井忠夫さんの話などをいっぱい聞き、本当に筝を身近に感じられるようになりました。

さらに、水谷隆子さん。99年に筝でアメリカに留学する時に、新作を委嘱してくれました。手紙のやりとりで作曲をする、というぼくの提案に応じてくれて、そのおかげで、文字を描くようにして筝を演奏する、という方法を思いつきました。

そして、菊地奈緒子さん、市川慎さん。01年に菊地さんが「押亀のエチュード」を仙台で演奏、その後、毎年のように、野村誠作品を取り上げてくれています。お二人は、力強い演奏力と柔軟な感性とで、譜面に書かれていることだけでなく、譜面に書かれていない味つけができる素晴らしい演奏家です。お二人の存在に出会って、ぼくは、本当に筝の作品を書くのが楽しくって、仕方がなくなりました。

ということに、改めて感謝したいと思います。作曲家は演奏家に育てられるのです。

レクチャーをしていて改めて思ったことは、譜面を書くというのは、演奏家とのやりとりなのです。譜面を書きながら、ぼくはいつも演奏する人の気持ちになります。演奏している人がここでどう感じるだろう?と常に考えます。また、演奏家に少しでもクリエイティブに解釈して欲しい、と思うので、楽譜には解釈の余地を残していきます。でも、余地がありすぎると、逆に演奏家は、「なんでもいいのか、この作曲家は」となめてしまうので、演奏家が色々解釈したくなる程度に譜面を書く、ということを考えます。どこまで演奏家に委ねるかで、作曲家も演奏家も、ともに楽しめ、驚き、お互いが成長できるような、そういう譜面の書き方を模索しているのだ、ということに、気づきました。

このレクチャーでは、2年前の赤城でのワークショップの時に、一緒に穴を掘った人が来ていました。あの時の穴を掘った体験を、いろんな人に語っていると、言っていました。今週は、穴掘り関係者と2度も会ったなぁ。

その後、新幹線で京都に戻りました。京都駅でちょっとびっくり。女の人に急に声をかけられました。「野村誠さんですよね」。なんと、その人は、自分のバンドで、pou-fouのprestoという曲をコピーしているとのことでした。この曲は91年に作って、92年にEpic/Sony Recordsから発売になり、10年近く前に廃盤になっていました。そんな楽譜もない複雑な曲を耳コピで挑戦している人がいるなんて、感動です。こうやって、音楽というのは、生き続けていくのですね。嬉しいなぁ。