野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

木方さんと浦野さん

近所の喫茶店に偶然、木方幹人さん(93年に名古屋市美術館pou-fouの企画をしてくれて以来のお付き合い)と浦野さん(97年、SCAIでP−ブロッの企画をしてくれて以来のお付き合い)の顔を発見して、長話。

二人とも取手でのあーだ・こーだ・けーだパーティーに来てくれたので、取手の話もいろいろしました。ACDメンバーは、取手の展覧会が終わった今になっても、どんどんやりとりが進んで、まだまだこれからという感じで、すごくいい感じという話もしました。取手アートプロジェクトが終わった後になってもACDが勝手に(野村が不在でも)展開しているように、えずこの「十年音泉」も2月の公演が終わっても、野村がいなくても、どんどん勝手に進んでいったら、いいんだろうね、と木方さん。

まったく、その通りです。ぼく自身が、2月18日以降の何年後かのビジョンを描いていないことを痛感しました。数年後に、えずこでどんなことが起こっていて欲しいか、イメージしながら、「十年音泉」を作っているのか。10周年の総決算ではなく、10周年を機会に何かが始まる仕掛けをする公演のはずです。そのことを漠然とはイメージしていましたが、もっとみんなと話し合いたい。そうしないと、ぼくもみんなも全力投球して、これでおしまい、「さよならえずこホール」となったら、最悪です。何かが始まる序曲が、「演劇交響曲第1番」のはずです。

それから、「十年音泉」は、いろんな人がリレーをするようにワークショップで作ってきた舞台です。毎回のワークショップでは、現在形の何かが作られますが、それは、決して「固定化」された作品ではなく、「変えることのできる」作品で、次回、どうぞ、これを変えちゃってください、という前提で作ってきました。そうやって、作って来た作品は、人の手から手へと渡り続け、現在進行形で生き続けるのです。

公演が近づいてきて、ぼくたちは作品を固定化してはいけません。あくまで、可変な作品として、いろんな人が関わり続けられる作品として、開かれた作品として、作っていかなければいけません。演劇交響曲は、ある個人の所有物ではなく、多くの人の関われる場として存在できるのでしょうか?

などなど、色々話しました。ますます、頭が整理されてきました。

でも、せっかく、東京にいるので、しばらくは、宮城のことを忘れて、頭をリフレッシュしよう。

今日は、ぼくの母の誕生日です。お誕生日おめでとうございます。