野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

なんもない

今日は、碧水ホールでの「音楽ノ未来 野村誠の世界vol.4〜ガムランをめぐって」でした。

第1部はワークショップで作ったガムラン作品「青ダルマどん」。この作品の構成は、ほとんど7歳のタクミが言ったことに基づいています。

最初は緊張しないやつがいい、と言うので、最初は、「だるまさんがころんだ」で始まります。で、過去3年間と違って、今年はコンサートのど頭にワークショップで作った曲をやるのです。ですから、コンサートの最初の曲の最初ということで、お客さんも出演者も一番緊張している場面です。ただし、そんなことまでタクミは知らないはずなのに、彼は「緊張しないでできる簡単なやつから始まりたい」と言ったのです。そして、その意見を真っ向から受け入れることにしました。ちなみに、片岡祐介さんは、本番直前のプレイベントでの映像上映を見たら、すごく緊張したのだそうです。でも、「はじめの一歩」から始まったおかげで緊張が解けた、と言っていました。

この曲の終わりは、片岡さんを子どもたちが倒すシーンで終わります。これも、タクミが言い出したことです。「片岡さんを倒す」ということに、子どもたちがすごく興味を持ってしまった上に、それを最後のシーンにしたいと言ったわけです。で、その理由が、タクミ曰く、途中でいろいろ失敗しても、最後にこの人(片岡さんのこと)を倒せば大丈夫、というのです。これを聞いて、ぼくは「片岡さんはイエス・キリストみたいな役割」と思いました。みんなが犯した罪を十字架にはりつけになって帳消しにしてしまう救世主ではないですか。そしたら、聴きに来ていた作曲家の坂野さんは、1部が終わるなり片岡さんに、「曲の最初は息苦しかったが後半で救われた」、というような感想をもらしたそうです。救世主だったのですね。

休憩中は、ロビーで「あいのて」ライブをしました。ホール内では客席と舞台の距離感があるコンサート形式という感じで、ロビーのミニライブは、照明も音響もなしの外光、生音で、座席もなしの立ち見です。この距離感の遠近感が面白かったです。「あいのて」でやった曲は、テレビの収録でやっているので、観客を前にやることは初めてでした。ライブでやると面白いなあ、と思いました。

第2部は、10年ぶりのTASKE参加の「踊れ!ベートーヴェン」でした。彼の歌で「もしも向こうの国の人に日本の文化を問われたら一体、どうするんだい、どうするんだい、よー」というメッセージを日本のガムラングループに向けて発したのが10年前です。この10年間、中川真さんと日本のガムラン楽家たちは、この歌に答えられるだけの活動をしてきたな、と感じながら、懐かしく10年前のことを思い返して感慨深かったです。10年前はマイケル・ナイマンやポーリン・オリヴェロスやルー・ハリソンの作品と並んで演奏されました。欧米の現代作曲家の作品と並んで演奏されましたし、いわゆるコンサートという形態の中で、この曲が一番型破りな破天荒な作品という感じでした。今日は、「青ダルマどん」と即興演奏の間に挟まれ、唯一、きちんと書かれた古典的な現代曲という位置づけで演奏されています。

実は、10年前に「踊れ!ベートーヴェン」を作曲中、ぼくは、相当困りました。何に困ったかというと、ガムランがあまりにもガムランの響きで、宮廷音楽の高貴なイメージの響きから、どうやっても逸脱できなかったのです。散々考えて、ぼくは、ガムラントイピアノや鍵盤ハーモニカを加えること、TASKEや子どもの歌声をぶつけることで、ガムランの響きに下町感覚を付け加えることに成功した、と感じたのです。今、ぼくは、ガムランと仲良くなったので、そんなことで困ること自体が信じられません。ぼくの感覚が大きく変わったことを感じるのです。

さて、問題は第3部です。インドネシアやタイ、日本のミュージシャンをゲストによんでいるので、それぞれの音楽家の特色がきちんとプレゼンできるようにするのが、礼儀だろう、と考えました。2人ずつの即興などを5〜10分くらいを何セットかやって、ある程度みんなが安心した状態で、最後に全員のセッションを20〜30分程度しよう、と考えていました。

ところが、本番直前に、中川真さんが、直訴してきました。なんか、そういうやり方はしたくない、と。中川さんは、2004年タイで、2005年インドネシアで一緒にこのプロジェクトをやってきた大切な仲間です。彼がそう思うなら、彼の希望を受け容れようと思いました。そして、3部の初めに、じゃあ、どうやって進めていきましょうか、とぼくが問いを発すると、中川真さんは、ガムランの楽器には目もくれず、ホールの壁をこすり始めました。

それから、混沌の即興が始まりました。今までリハーサルではリラックスして頑張らない演奏をしていたアジア人たちですが、アジア人というのは、本当に協調性があります。中川真さんが頑張って突撃していったら、誰一人脱力モードにならずに、頑張り演奏を始めたのです。深く呼吸する音楽ではなく、呼吸が浅い感じ。

で、こういう展開になると、会場のセッティングがコンサート・劇場っぽすぎるのですね。第1部、第2部は、ある程度、観客が受身で見ていても楽しめますが、この展開になった第3部は、観客自身が受身になっているとあまり楽しめないステージで、観客自身が、積極的に自分なりの面白さを見つけていくと、すごく楽しめるステージになったわけです。こういう展開になることが分かっていたら、1部、2部とは違う会場の作り方をしましたが・・・。

ということで、ある程度、それからのぼくの仕事は、会場作りになりました。中川真さんが、最初にガムランには目もくれずに壁に行きましたが、ステージ上には、いわゆる楽器しかないのです。ここが森なら、いわゆる楽器以外の物がいっぱい転がっていますが・・・。そこで、ぼくは即興演奏はみんなに任せておいて、途中で会場を抜けて、楽屋をうろうろしました。すると、ハンガーとハンガーかけがあって、これならホールに持っていけるな、と思って、それをホールに持って行きました。

それから、PAの問題で、演奏者のいない方向から音が出る不自然さがあるので、それを解消するために、スピーカーと演奏者の間くらいに楽器を置きたくなりました。そうすると、そこは客席の中なのです。無理にお客に楽器をやれと薦めるわけではありませんが、まずは、そのあたりに楽器を置いてみました。すると、面白いことに、そこには演奏者は誰も演奏しにはいきませんし、観客も誰も触ろうともしません。微妙な距離感なのですが、そこが舞台と客席の境界点の一つだったのです。

それから、舞台が会場の真ん中にあったのですが、1部、2部は、はっきり正面があるパフォーマンスだったので、客席は一方向にあって良かったのですが、3部の即興は正面が存在しない演目になっていったので、お客さんを舞台の裏側にも配置しようと思って、ざぶとんと椅子を運んで、客席を増設しました。

いろいろあったのですが、最後が印象的でした。とにかく、みんなが頑張って音を出す方向性だったので、音が多かったり、執拗になる感じの場面が多いのです。気がついたら、タケオくんがステージ上でボナンを演奏していました。それが、やっぱり、頑張って音を出す感じの演奏で、完全に、この場に影響されている音だったのです。

で、このタケオくんに、「もう少し柔らかい音で演奏しようか」とか「もう少し音数を減らそうか」と説得していくようなパフォーマンスがあって、その間は、他の奏者が何をしているのかも見ずに、ただただ、タケオくんとやりとりをして、だんだん音を少なくしてもらいました。最後に、「タケオくん、ぼくの横においでよ」と声をかけ、タケオくんが演奏をやめて、ぼくの横に来た時、中川真さんが、「あ、これ、終わりますよ。このままいくと、終わるよ。」と囁きました。どういうつもりで、そう言ったのかは、不明です。終わりたくなければ、彼が演奏を始めれば済むことですし・・・。でも、彼は、ただ、そう言ったのです。

そして、佐久間くんの踊りがゆっくりになる時、アナンが「ハンムラー、マイミー、なんもない」と静かに言い終え、その直後に、佐久間君の踊りも静止しました。これは、真さんが言うように終わりになるだろう、と思いました。しかし、会場内には、小さい子どもがいっぱいいるのです。子どもたちが何か声を出すはずです。ぼくは、子どもが何を言うのだろう?きっと、それが、このパフォーマンスの結末だろう、と思って、子どもの声に耳を傾けました。しかし、あれだけ子どもがいたにも関わらず、非常に長い静寂が続きました。今日の中で最も印象的な時間でした。アナンの「なんもない」という言葉と、この長い沈黙の共有、これを体験するために、ぼくらは50分間にも渡って、様々なパフォーマンスを繰り広げたのか、という感じです。

ということで、アンコールをする気も起きず、何か挨拶をするのも蛇足、何も要らないのです。そうして、このコンサートは終わりました。

200人集まらなければ、次年度はないという条件の公演は、174人の入場者でした。ご来場の皆さん、ありがとうございます。ということで、次年度の継続は無理なのかと言うと、どうも首の皮一枚つながっている可能性もあるかもしれません。

9月10日の「桃太郎」公演も、200人入らなければ次年度からマルガサリの公演はなし、ということになっているそうです。逆に9月10日に226人入れば、ガムランプロジェクト2公演合わせて400人という条件をクリアしたので、次年度もできるのでは、と中川真さんが言っていました。なんとか、「桃太郎」にもお客さんが入るといいな、と思います。

ということで、皆さん、おつかれさまでした。