野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ヨーク時代のノート

どんどん、脱線します。
当時のノートを開けてみる。びっくり。色んなことがごちゃごちゃに書いてある。ルトスワフスキーの和声についても、即興演劇のドロシー・ヒースコートのことも、そして、ピアジェがどうしたとかメモがある。当時、ぼくはヨーク大学の大学院に籍をもらいながら、一切の義務はなく、大学の設備も自由に使えるし、授業も出てもいいし、最高の待遇だったので、図書館に行って、片っ端から本を読んだりスコアを読んだりしていたらしい。そして、忘れていたけど、こんなメモがあったのだ。

1歳まではリズムパターンはない。
18ヶ月で歌い始める。言葉は話すけど歌詞はない。音楽に合わせて踊る。跳躍はない。
2歳になると4度、5度の跳躍。
2歳半で既成の曲をまねる。
3歳(pot-pourri song)
5歳くらいで歌を作らなくなりだす。
4〜5歳は何でも繰り返し(同じ話を何度も聞く。同じ歌)

と書いてある。これ、イギリスの幼児の音楽の発達の本を読んだんだ。忘れてた〜〜。

番組「あいのて」で扱おうとしている4,5歳児は、繰り返すと同時に、歌を作らなくなり始めるとされる年齢なんだ。

大学院の学会で、マショーや、ブロードウェイや、子どもと作曲や、シベリウスや、中世の音楽劇や、第7倍音、・・・、すごいラフなメモもある。その横にチョムスキー言語学の理論書を読んでのメモがある。そう言えば、言語学勉強している日本人の学生と仲良かったなぁ。

面白くなって、ノートをめくる。ここからは、恥ずかしいけど、現在作曲中の自分のテンションを上げるためにも、書いちゃいます。

ぼくにとっての作曲の技術とは演奏者にいかにぼくの音楽を伝えるかである。それを学びにヨークに来た。子どもに、見知らぬ人に、大学生に、教授に、いかに伝えるかだ。だからワークショップを目撃しているのだ。そして、その作曲という作業が1wayコミュニケーションにならないように、というところが、間違いや誤解への興味であり、2waysというのは、お互いのエゴをみたすことを前提としている。

さらに、この後、西洋音楽の楽譜を介した分業方式に色々書いてあって、そのあとが飛んでいる。

ぼくの音楽に共感するすべてのミュージシャンにより、ただちにリハーサルを開始せよ。リハーサルこそ、ぼくにとってのパフォーマンスなのだ。ライバルは弘法大師嵐を呼ぶ男。おいらはドラマー、やくざなドラマー、おいらが歌えば嵐を呼ぶぜ。本当に弘法大師。彼は政治家でアーティスト。スケールでっかい。政治家だからしたたか。

うそみたいなことが起こらなくっちゃ音楽じゃない、そして、それが本当だ!


ぼくの長所〜我慢強い、オープン、よいところを見つけるのがうまい
短所〜作曲の能力

次はジョン・ペインターと喋っていたときに彼が書いたもの。多分、ハリー・パーチの言葉だったような。

When things are hopping: the big world, lots of excitement, few rules, no analysis.
When things are not hopping: the little world, small in excitement, many rules, UTTER ANALYSIS!

(弾むとき、大きな世界、たくさんの興奮、ルールはほとんどなく、分析はない!弾まないとき、小さな世界、小さな興奮、ルールがいっぱいで、分析だらけだ!)

さらに進むと、メシアンの本を読んでいて、musicの語源は、

MEN:心の動きを示すこと、考えること、驚き、mind,man,memory

rhythmの語源は

SERU:colour cour(流れる)、水の流れ