野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

But it isn’t real composition

本日は、とよなか地域創生塾の講師をしました。日本センチュリー交響楽団の首席トロンボーン奏者の近藤さん、豊中市立文化芸術センターのプロデューサーの柿塚さんとともに。

http://toyonaka-souseijuku.org/

JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)の土俵祭りを紹介したり、淡路島の瓦の音楽を紹介したりして後、日本センチュリー交響楽団豊中での取組を紹介し、その後、実際にボディパーカッションで曲を作ったり、楽器で音を出して音楽を創作したり、歌を作ったりしました。

交流会でも濃密な交流をすることもできて、ぼくが豊中市とセンチュリー響の恊働プロジェクトに関わり始めて3年の月日が経ち、徐々にですが、種蒔きが進行中の手応えを感じております。オーケストラと作曲家をもっともっと市民の皆さんに活用してもらえるように、と思いました。

行き帰りの電車の中で、Gillian Mooreの'A vigorous unbroken tradition': British Composers and the Community since the Beginning of the Twentieth Centuryを読んでおりました。そもそも、イギリスでのオーケストラの教育プログラムのパイオニアであるRichard McNicolは、John Paynterに影響を受けていると書いてあります。John Paynterは、ぼくが1994年ー95年にヨーク大学大学院に留学していた時にお世話になったヨーク大学の作曲家で創造的な音楽教育の実践者です。60年ー70年代にジョンがやっていたことが、80年代に先駆的なオーケストラの教育プログラムとして取り入れられて、90年代になると多くのオーケストラが始めます。しかし、94年にぼくがジョンと話した時には、「自分が60年代に書いた本は、60年代には新しい現代音楽だったけれども、あの本を読んで、今は30年前と同じことをするのは違うと思う。90年代には、90年代に新しいことをやるべきだと思う。」とジョンは言っていた。しかし、「今は、何が面白いのか?何が新しいのか?ぼくには面白いものが見当たらない。ぼくは古くなってしまったのだろうか?」とジョンは言っていた。そして、「もし、マコトが200人いたら、イギリス中でマコトがワークショップをすればいいんだ。でも、マコトは一人しかいない。どうしたらいいと思う?」と言っていた。あの問いの答えを探していたジョンも、数年前にあの世に旅立ってしまった。今、オーケストラとやっていることを、ジョンと話したかったなぁ、と今頃になって思う。ジョンの1970年の名著「Sound and Silence」は、「音楽の語るもの」というタイトルで日本語訳も出ている。読んだことない人は、図書館で借りて読んでみて下さい。プリペアドピアノも、12音技法も、ミニマルミュージックも、音楽教育に取り入れていて、きっと当時では、本当に画期的な教育だったのだろう。

音楽の語るもの

音楽の語るもの

さて、Gillian Mooreの論文の後半で、'But It Isn't Real Composition'という興味深い見出しがありました。スティーヴ・ライヒの音楽を題材にしたワークショップを、ロンドン・シンフォニエッタと作曲家のFraser Trainerが行っているのを、ライヒが見学して、当惑したエピソード。さらに、作曲家のNigel Osbourneとスコットランド室内管弦楽団ルトスワフスキの音楽を題材のワークショップをして、中学生がルトスワフスキーの手法で即興的にアンサンブルの音楽をつくったのを、ルトスワフスキーが見学してのコメントは以下の通り。"Thank you so much. I am very flattered. It was great and truly surprising achievement....But of course, as you know, it isn't real composition!" ルトスワフスキーは子どもたちの音楽を評価すると同時に、それは本当の作曲ではない、と言ったわけです。ジョン・ケージだったら、どう答えたのだろう?ぼくは、どう答えるのだろう?ぼくは、ルトスワフスキーのようには答えないと思う。でも、ルトスワフスキーの言いたいことも、分からないではない。もし、それがreal compositionでないのならば、それは、何なのだろう?