野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

東京日帰りツアー

本日は、東京へ日帰りツアー。東京音大にて、講義を行いました。東京音大昭和音大神戸女学院大の3大学をネットで繋いで、同じ講義を受講するという形式のものです。90分しかないので、スピード講義でした。だいたい以下のような内容。

1)吹き語り「鍵ハモ・イントロダクション」
2)ペットボトルの演奏法
3)スライド自己紹介(瓦の音楽、オーケストラと社会、千住だじゃれ音楽祭)
4)ヴァイオリンと映像のための「だじゃれは言いません」の映像を見る
5)「瓦の音楽」の音源を聞く
6)「日本センチュリー交響楽団のテーマ」の大阪駅前のコンサート映像を見る
7)働くこと、人と人を繋ぐことの話
8)3大学で、楽器で音を回す
9)「手拍子のロンド」をやってみる
10)「フルーツバスケット」の話
11)東京音大による即興演奏
12)神戸女学院大学による即興演奏
13)昭和音大による即興演奏
14)質問コーナー

帰りの新幹線で、11月1日の大津でのコンサートのプログラムの文章を書きました。

ヨーク大学

エンリコ・ベルテッリ、やぶくみこ、野村誠。3人の共通点は、イギリスのヨーク大学で学んだことです。イングランド北部、ロンドンから電車で2時間ほど北上した所に、ヨークはあります。城壁、大聖堂で有名なヨークミンスタ―を過ぎ、丘をのぼって行くと、牛や馬が見られるヘスリントン村に着きます。このヘスリントンの広大な敷地に、ヨーク大学のキャンパスがあり、多くの学生はキャンパス内の寮で生活しています。音楽学部は、ユニークな教育で有名で、イギリスの現代音楽の作曲家の多くを輩出してきました。初代の音楽学部長は、「ビートルズ音楽学」などを書いた音楽学者/作曲家のウィルフレッド・メラーズで、2代目の学部長は、創造的音楽教育で知られる音楽教育学者/作曲家のジョン・ペインター。大学の授業は、非常に自由で創造的な内容で、「映画音楽」、「ガムラン」、「コミュニティ音楽」、「音楽と演劇」などの1つのテーマを掘り下げるプロジェクト形式です。
今から20年前に、ヨーク大学の大学院に留学したことは、今のぼくの活動の原点とも言えます。毎週の作曲ゼミのディスカッション、70回も訪問した地元の中学校の音楽の授業、大学の現代音楽グループのための作曲、神戸の震災のためのコンサートの企画/運営など。あの自由な校風と、刺激的な仲間との交流は、今でも鮮明に覚えています。

エンリコとの出会い

さて、それから月日が経ち、ぼくはイギリスに何度も招聘されるようになりました。10年間でイギリスの20以上の都市で、数えきれないほどのコンサートやワークショップを行いましたが、ヨークを再び訪ねることはありませんでした。そんな中、エディンバラ大学でワークショップ講師をした時に、ヨーク留学中のやぶくみこさんが参加してくれました。彼女のセンスの良い耳は、群を抜いていて、新しい才能との出会いに喜び、自分が過ごしたヨークで学んでいることも嬉しく、交流が始まりました。彼女との出会いをきっかけに、ぼくは14年ぶりに、ヨーク大学と再会しました。久しぶりに訪れたキャンパスでは、相変わらず穏やかな時間が流れていました。そして、やぶさんを通して、ヨークの大学院生達との刺激的な交流が始まったのです。その中で抜群に面白かったのが、エンリコでした。彼は、ぼくが考えている音楽のコンセプトなどを、早々に理解し、意気投合し、ぼくの作曲作品をコンサートやワークショップで積極的に取り上げてくれました。
ぼくが帰国後も、やぶさんとエンリコは、同じ打楽器奏者として交流を深めました。好奇心の強いエンリコは、やぶさんとイタリア料理と和食のエクスチェンジなど、交流は音楽だけに留まらず、食文化、生活様式にまで、広がりました。次第に、エンリコは日本の生活に興味を示し、ついに日本にやって来ることになったのです。

竹林でのセッション

日本への興味が高まったエンリコは、昨夏、休暇を日本で過ごしました。我が家にも2泊ほど泊まっていき、京都の寺社を巡りました。イタリアのように伝統文化の土壌がしっかりある国で育ったこともあるのでしょうが、初めての滞在であるにも関わらず、彼は日本の文化の様々な側面に共感を示しました。味わい上手です。
昨夏の一コマ。ぼくが、エンリコとやぶさんと竹林を散歩していた時のことです。エンリコが竹を軽く叩くと、コンと美しい音色が響きました。それに応じて、ぼくも音をコンと鳴らします。やぶさんも、コン。静寂の竹林に、響く竹の音。そこから、自然にリズムが生まれ、竹林の音楽が展開しました。それは、無理矢理に音楽を演奏したのではなく、その時その場にある環境と自然に対話して生まれてきた音楽でした。こんな音楽を、ながらの座・座で体験してみたい、と思ったのが、本日のコンサートを思いついたきっかけでした。

打楽器奏者

ヴァイオリニストは、ヴァイオリンを専門にしますし、トランペット奏者はトランペットを専門に演奏します。自分の担当する楽器は1種類です。しかし、打楽器奏者は、打楽器を専門にしますが、そこには、ティンパニマリンバ、小太鼓、タンバリン、トライアングル、チャイムなどなど、ありとあらゆる打楽器を演奏することになります。ティンパニを演奏する時の奏法と、小太鼓を演奏する時の奏法と、鉄琴を演奏する時の奏法は、同じ叩くという行為ですが、叩き方は楽器に応じて変えていかなければいけません。常に楽器の特色に応じて、叩き方を変えるので、打楽器奏者は常に相手によって奏法を変えるという柔軟性を求められる職業なのです。同じトライアングルでも、どのビーターで叩くかで、音色が繊細に変わります。状況に応じて、ここは、細いビーターで叩こう、ここは太いビーターで叩こうと使い分けるわけです。そのため、優れた打楽器奏者は、常にオープンであり、相手に合わせる能力が長けてきます。自分を相手に押しつけるのではなく、相手に自分を合わせていくのです。

ながらの座・座

ながらの座・座について、ぼくの気持ちを少しだけ書いておきます。ここは、歴史的な建築物でありながら、橋本敏子さんの住居として、「現在形」で生き続けていることにこそ、他のどこにもない面白みを感じております。江戸東京たてもの園でのワークショップでの体験とも明らかに違いますし、愛知県津島市の民家での「目と鼻音楽会」の体験とも違います。
ながらの座・座は、数百年前に建てられた当時の生活を復元していないところが特長で、草間彌生のオブジェもあり、エアコンもあり、様式トイレもあるわけですが、それらが非常に良いバランスで共存していると、ぼくには見えます。古庭園がありますが、裏庭には畑もありますし、犬も優雅に暮らしています。鬼門には南天が植えられていますし、様々な古来からの知恵が散りばめられていることに、時々気付かされますが、21世紀の生活スタイルで暮らしている橋本敏子さんのお宅であります。江戸時代からの様々な名残が残るだけでなく、明治、大正、昭和、平成の生活までもが重層的に重なり合っています。この場所は、未だに生きていて、現在とも400年前とも繋がっています。そろばん、碁石、釜、小机などと出会うことで、多層的な歴史の一端を味わっております。
座・座でクラシック音楽の演奏会を行っていると聞き、なるほどと納得しました。クラシック音楽を、18世紀、19世紀のヨーロッパの音楽として、全く形を変えずに、当時の音楽の復元として提示するのならば、それは、生きた音楽ではなく、単なる歴史史料になるかもしれません。しかし、18世紀にヨーロッパで作曲された音楽を、21世紀の日本で、同時代の人のために工夫し、再解釈を施し演奏するのであれば、それは、今も生き続けている「今の音楽」になり得ると思うのです。  
「ながらの座・座」という場所は、過去と現在がどのように繋がっているのか、伝統と現代テクノロジーがどのように繋がっているのか、はたまた分断されているのか、ということを、教えてくれます。難しい言葉で言うまでもありません。昔、昔、ここに人が集い、様々な交流を行われたように(その昔は、昨日であり、半世紀前であり、150年前であり、来年でもあるのかもしれませんが)、本日、ここで、ぼく達は出会い、思いを巡らせて、一つの音楽の場を体感するのです。ただただ、それだけのことですが、そのことが、本当に本当に貴重な時間であり、何と愛しいのだろうと、ぼくは思うのです。そんな思いを込めて、「今の音楽、居間の音楽」というタイトルを名づけました。今、ここでしか味わえない「今の」、「居間」の音楽を、どうぞどうぞ、お楽しみ下さい。(野村誠

ながらの座・座のコンサートの詳細は、こちら!
http://nagara-zaza.net/