野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

音価と強度のまなざし

音価と強度のまなざし」の作曲作業。これは、2018年に中川賢一さんと2台ピアノをするために作曲した「オリヴィエ・メシアンに注ぐ20のまなざし」という曲集の2曲目として書いたものの全面改訂。もともと、メシアンに「音価と強度のモード」という曲があって、それは70年ほど前に作曲された前衛的で美しい音楽なのだが、このメシアンの曲とインドネシアガムラン音楽が融合するような曲にしたのが、野村作品。今日は1日この譜面を書いていて、完成。中川さんに譜面を送る。4月12日に、愛知県芸術文化センターで演奏する。

 

鳥取銀河鉄道祭の記録集のための原稿を書く。あまりにも濃密だったので、500字で書くなんて無理なので、短文の列記で詰め込んだ。

 

高校時代に進路の相談に行って、衝撃の言葉を与えて下さった作曲家の戸島美喜夫さんが、先週他界されてショックだった。ところが、また別の訃報が届く。ほぼ、同じ頃に、20代の頃に本当にお世話になった現代音楽プロデューサーで心理学者の藤島寛さんが亡くなられたとの知らせだ。

 

ぼくが大学生になった80年代後半に、藤島さんは現代音楽のコンサートを数多く企画されていて、ぼくは足繁く通い、いっぱい勉強させていただいた。89年にジョン・ケージ京都賞を受賞した時、ぼくは大学3回生だった。藤島さんのお宅にお邪魔して、数多くのケージの楽譜を見せていただいたし、コンサート「ケージバン」も見に来て下さった。93年に京都造形芸術大学に特別講師として招いて下さったのも藤島さんだ。まだ若干25歳だったぼくが、初めて大学で講義をしたのは、藤島さんからいただいた機会だった。ブリティッシュ・カウンシルのフェローシップのことを教えて下さったのも藤島さんで、「野村くんやったら、出せば通ると思う」と言われた言葉を鵜呑みにし、応募した。推薦文も書いていただき、イギリスのヨークで1年研修することができたし、イギリスのことも行く前に随分と教えていただいた。帰国後に藤島さんを訪ねた時に、「君はいずれ大学のポストにつけるから、まずは大学院で研鑽を積むように」とアドバイスを受けたが、藤島さんのアドバイスと全く違う路上演奏で生計を立てる日々に突入した。その後は、なかなかお会いする機会が減ってしまったが、ぼくの活動を嬉しそうに見守って下さっていた。2年前の冬、アートスペース虹のクロージングイベントでお会いしたのが最後になってしまったが、あの時も嬉しそうに「野村くん」と語りかけて下さる笑顔が、ただただ懐かしい。また、すぐにお会いできると思っていただけに、ショックだ。藤島さんを仰天させるような作品を書けるところまで成長して、もっともっと恩返しをしたかった。ご冥福をお祈りします。