野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

幼児とのフィジカル音楽/踏歌神事/数学と作曲

西洋音楽の歴史に思うこと。表裏一体の不可分だった作曲と演奏という行為が、20世紀の後半に分業化し、作曲家と演奏家に分離してしまう。その結果、作曲はより観念化し、コンセプトが重要になり身体性が軽視されがちになる。コンセプトは面白くても聴取体験として魅力を感じないケースに陥らないために、ぼくは身体性を見直す活動に長く取り組んできた。

 

ぼくにとって幼児との活動は、教育を意図するのではなく、子どもの身体を通して音楽を再発見する活動である。本日は、名古屋の椙山幼稚園にて、子どもたちと音遊びをした。こんな風に楽器を鳴らすのか、こんな動きをするのか、とカオスのようにあちこちで音を鳴らす子どもたちの姿から学ぶことは多い(それは、子どもたちにとっても違った意味で学びの場であったと思う)。昨年一度訪ねただけなのに、子どもたちはぼくのことを覚えていてくれて、親しげに楽器を鳴らしながら、語りかけてくれた。友達のように接してもらえて嬉しい。

 

現代音楽が観念と楽譜に寄りすぎてしまったことの反省から、ぼくはパフォーマンス性を再獲得するために、子どもとの交流以外にも様々な試みをしてきた。その中でも大切にしているのが相撲の研究である。現代の大相撲の中にも、不思議な儀礼的要素が多分にあるが、歴史を遡ると、飛鳥〜平安時代の「相撲節会」という儀式にたどり着く。同じ頃に行われていた「踏歌節会」という儀式を起源とする熱田神宮の「踏歌神事」を明朝見学するので、ホテルで予習。

 

2020年には、亡き戸島美喜夫への思いを込め、パンデミックを鎮めるために熱田神宮の踏歌神事について調べて《世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ》を作曲した。山本亜美さんの素晴らしい演奏も改めて聴きかえしてみよう。

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network2010.org

 

熱田神宮踏歌神事

 

こうして、ぼくが作曲と身体性、パフォーマンス性を突き進んだきっかけは、数学との訣別にあった。大学で数学を専攻し、自分自身の音楽があまりにも観念的になりすぎたことの反動で、それから35年間、数学から離れた。しかし、西洋音楽史では、ピタゴラス以来、音楽の理論と数学(物理)の理論が密接に関わっていた。作曲と演奏が不可分なように、数学と不可分な音楽について、もう一度考えたいと思うようになった。だから、今は本気で数学を勉強している。数年かけて、自分の数学力を大学卒業レベルに回復させたい。そして、西洋音楽の理論的な背景を数学の歴史と照らし合わせながら再考して、それと自分が身体性をもとに築いてきた作曲観を出会わせてみたい。そこから自分なりの音楽理論/作曲理論を構築してみること。そんな目的意識を持って、ここ数年を過ごしてみたいと考えている。