野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

楽譜はガイドです(戸島美喜夫のメッセージ)

ついに、野村誠作曲「初代高砂浦五郎」の竹澤悦子さんによる素晴らしき世界初演の動画が公開になった。あまりにも素敵な演奏なので、ぜひ、お聞きください。

 

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今年の7月に25絃箏のための新曲「世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ」を作曲した。今日は、この曲の委嘱者である山本亜美さんとのリハーサルだった。

 

そもそも不思議な出会いだった。昨年の秋頃に、山本亜美さんから突然連絡をいただいた。戸島先生の「ベトナムの子守唄」を25絃箏に編曲して演奏した。戸島先生のお宅でホームコンサートを開くので、聴きに来られませんか?と。名古屋で高校生時代にお会いして、ぼくの音楽人生を根底から変えてしまうような言葉を下さったのが戸島先生だ。戸島先生のお宅でのホームコンサートを聴きに行けるとは嬉しいので、なんとかスケジュールを都合つけたいと思っていたところ、先生の体調が悪くなり中止になってしまった。そして、今年の2月に戸島先生は旅立たれた。訃報を聞いて、非常に残念でいたところ、山本さんから、委嘱の話がきた。戸島先生の「ベトナムの子守唄」と野村の新曲を演奏するリサイタルをしたいと。戸島先生が引き合わせたご縁だが、お会いしたことがない人から作曲委嘱を引き受けるのはあまりにも不自然なので、まずはお会いしてから考えたいとお返事した。ところが、会おうとするがコロナ禍で、ぼくが東京に行く予定がなくなり、彼女が関西に来る予定もなくなり、どうしてお会いする機会が持てなかった。結局、とうとうお会いすることもなく、楽器の音を実際に触れてみることもなく、作曲を引き受けることにした。そして、「世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ」という曲を作曲して、今日、初めてご本人にお会いし、今日、初めて25絃箏での演奏を聴いた。

 

ぼくはこの譜面の冒頭にこう書いていた。

 

楽譜はガイドです。譜面に書かれていない行間、聞こえてこない歌を想像し、テンポ、ダイナミクスなど、演奏者のニュアンスで柔軟に音楽を膨らませてください。

 

山本さんの演奏はとても美しく表情も豊かで、ぼくが書いた音楽を既に豊かに膨らませ始めていた。ぼくは、譜面をもとに、もっとどう膨らませたらいいのか、そのためのヒントを色々お伝えした。正解はひとつではなく、無数にあり得るのだが、彼女が彼女らしい音楽をこの譜面から紡いでいくために必要なことをお伝えした。一通りのリハーサルが終わった後に、彼女から驚きの告白があった。彼女が戸島先生とお話されて、最も印象に残っている言葉のことだ。その言葉は

 

「譜面はガイドだから、あなたに託すから好きにやっていいんだ」

 

と言うものだったらしい。ぼくはびっくりして、椅子から立ち上がり、しゃがみ込んでしまった。この曲を書いている時、ぼくは熱田神宮の「踏歌神事」を分析しながら、その背後に隠れている古代の歌垣に耳を澄ますと同時に、亡き戸島先生の声に耳を澄まし作曲した。古代の歌垣や戸島先生の声に、どれだけ迫って作曲できたかはわからないけれども、自分の精一杯で、そこにアンテナを張り巡らせながら、自分の音楽として作曲した。どうしてぼくは、楽譜の冒頭に、戸島先生が亜美さんに伝えたのと同じ言葉を書いてしまったのだろう?それは単なる偶然?それとも、高校時代に戸島先生がぼくに投げかけた問いに向き合い続けて生きてきたから?それとも、戸島先生が乗り移って、ぼくにこの言葉を書かせたの?

 

今日のリハーサルで、この言葉をシェアできたことで、10月28日の山本亜美さんの演奏会は、間違いなく素晴らしい演奏になると確信できた。彼女は、借り物としての音楽ではなく、楽譜をガイドとして、彼女自身の音楽を見つけ、彼女自身の音楽を奏でるであろうと。

 

こんな機会をいただいたこと、本当に感謝。そして、戸島美喜夫の美しい音楽に憧れる気持ちを、これからも大切にして作曲していきたい。

 

夕方は、問題行動トリオによる十和田市現代美術館のリサーチ。遠隔で美術館の展覧会を体験できるか、というプロジェクト。ボランティアで美術館に関わって下さっているエミコさんやオヌマさんやサンノヘさんが、展示会場で、ぼくの代わりに動いたり、声を出したりしてくれる。他人の身体を通して展示を味わうという稀有な体験。こんな体験の仕方があるのだ。ある意味、感覚の交換。大きな成果!

 

夜は、明後日の北斎バンドの公開収録に向けて、野村がやる一人芝居の台本を書いて、一人練習。何やってるんだ、野村誠。でも、なんでもチャレンジしてみよう。いよいよ明日から、東京遠征。