昨年、二十五絃箏のための《世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ》を作曲した。その時は、熱田神宮と住吉大社のみに、踏歌神事が残っているとのことで、その二つについてリサーチし、最終的に熱田神宮の踏歌神事をメインにリサーチして作曲した。ところが、今日、熊本県の阿蘇神社に「踏歌節会」という儀式があることを発見し、今まで調べていく中では全くヒットしなかった情報だけに、驚き、これはリサーチしなければと思う。どれくらい熱田神宮の踏歌神事と似ているのか違うのか、調べてみたい。あれれ?そう言えば、同じく昨年作曲した《初代高砂浦五郎》を作曲中のリサーチで、能の「高砂」のことを調べたけれども、世阿弥の書いたストーリーでは、阿蘇神社の宮司が高砂に出てきて松の精と会う話だった。なんか偶然の一致とは言え、昨年6月に作曲した《初代高砂浦五郎》と7月に作曲した《世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ》が、繋がってびっくり。
芽武のレポート作成中。論考を書こうとしているうちに、詩のようになってくる。ぼくは、こんなにも「作曲」という行為を大切に思っていて、でも「作曲」という行為はあまりポピュラーではなく、小学校時代など「作曲」して遊ぶ友人は誰もいなかったし、でも、ぼくが「作曲道」を40年以上進んできて、探求してきたことは、狭い意味での「作曲」に留まらず、社会を作曲するとか、世界を作曲するとか、いろいろなことを作曲していくのだ、と思ったり。だから、改めて、初心に帰って、自分の考える作曲道について言語化していくことが必要だなぁ、と思った。でも、それを論考として書いていくと重たくて、なんだかワクワクしないので、書いているうちに詩のようになっていく。作曲道を日々探求し続けていきたいと思う。音を探求し、言葉を探求し、身体を探求し、楽譜を探求し、空間を探求し、メディアを探求し、社会を探求し、文化を探求し、歴史を探求し、コミュニケーションを探求するのが作曲道。そして、それらの探求を遊ぶこと。
アイヌ音楽研究者の千葉伸彦さんインタビューのテープ起こし作業をする。アイヌ音楽と千葉さん、
出会う
習う
研究者になる
踏み外す
教える
芽武
甲斐田さんより、動画の編集の最新版が届く。素晴らしい。ちゃんと10分10秒に編集されていて、音も微調整が進んでいる。タイトル考え中だけど、こんな感じかな。
千住の1010人 from 2020年
2020年を作曲する
世界だじゃれ音Line音楽祭
完成&公開間近。