野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

《世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ》

本日、野村の新曲《世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ》(2020)が、山本亜美さんにより世界初演された。諸事情で初演に立ち合うことができなかったが、きっと素晴らしい初演だったに違いない。本日のプログラムノートをここに転載。

 

『世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ』 

 

1 万春楽

2 竹川半首(卯杖の舞)

3 浅縹(扇の舞)

4 オベロベロ

5 何そもそも

 

 声に出さない祈りの歌。心の奥底でのみ歌われる無言歌。2020年のパンデミックの中、疫病を鎮め死者と交信する祈りの曲。戸島美喜夫先生への手紙。

 ぼくは2008年に「日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)」を鶴見幸代と樅山智子と始めて以来、相撲に耳を傾け音楽を創作してきた。各地に伝わる神事としての相撲に、大地を踏む動きが数多く伝わる。古来から伝えられてきた相撲神事に潜む謎に惹きつけられて、その謎の核心に迫りたくて、リサーチと作曲を続ける。

 Covid-19の影響で、JACSHAはオンラインで毎日四股を1000回踏む「四股1000」を始めた。疫病や災害を鎮める呪法としての四股にも関心があったし、自宅に籠もりがちで運動不足を解消する必要もあったが、相撲の身体技法についての数多くの論考を著し、四股探求を日々深めている元力士の一ノ矢さん(高砂部屋マネージャー、松田哲博氏)に触発されたところが大きい。相撲の身体は、音楽家と相通ずることが非常に多い。

 「四股1000」を始めた当初は、ただ漠然と1000回カウントして四股を踏んでいた。ところが毎日続けるうちに、股関節が徐々に柔軟になり、精神状態にも作用し始めただけでなく、カウントの仕方に変化が出始めた。毎日1000回数え続けるうちに、自然と抑揚がつき、インドネシア語ポーランド語のカウント、歌や念仏さえも現れた。それは歌舞の発生を体験しているかのようであった。徐々に仲間も増えていった。この体験と踏歌が、ぼくの中で結びついた。踏歌とは、歌垣とは、こんな風に始まったのではないか。

 古代の日本の歌垣が大陸から伝わった踏歌と融合し、踏歌節会として宮中で行われたものが、伝承され形を変え、正月の門付け芸である尾張万歳や三河万歳などにも脈々とつながり、それが現在の漫才のルーツであると言われる。一方、毎年一月に行われる熱田神宮の踏歌神事は、平安時代の姿を留めている。

 熱田神宮は、ぼくが生まれ育った愛知県名古屋市にあるが、ぼくは踏歌神事を体験したことがなかった。パンデミック中に、引き籠もった自宅で、未だ見ぬ踏歌に思いを馳せ、自分なりの声なき祈りを作曲したいと思った。里村真理さんにドラマトゥルクをお願いし、踏歌に関する情報のリサーチや作品コンセプトづくりの協働をお願いした。踏歌を起点に資料を掘り下げるうちに、催馬楽小泉八雲源氏物語、奥三河花祭りまで、議論が広がっていった。と同時に、YouTubeにある踏歌神事の動画を見続け、歌の節回しを細部まで真似し、暗唱して歌えるまで稽古をつづけた。こうした経験から自分の身体の中に生まれてきた新しい古代の踏歌を、二十五絃という楽器の音楽として作曲した。

 名古屋在住だった戸島先生は、熱田神宮の踏歌神事を体験しただろうか。北設楽郡の民謡を題材にした作品を何曲も書いている戸島先生は、奥三河花祭りを見ただろうか?

 ぼくは高校生の頃、戸島先生のお宅を訪ねた。先生は、ぼくの譜面を見ると「これは作品というよりは、君の演奏だね」と仰った。ぼくの曲は、作品になっていないのか?何がいけない?ぼくは、戸島先生の謎の言葉と何年も対峙した。最初は、もっと作品になるために何が必要かと悩んだが、譜面は演奏を誘発するための仕掛けだと開き直り、「君の演奏」と言われた音楽を突き進んだ結果、今の野村誠がある。

 さて、新曲は、熱田神宮の踏歌神事の5つの場面を描く。「万春楽」で儀式を開始し、「竹川半首(卯杖の舞)」、「浅縹(扇の舞)」という二つの舞を経て、高巾子が面をつけて振鼓を振る「オベロベロ」。そして、最後は「何そもそも」という謎の歌で終わる。

 

なにそもそも あやかや にしきかや なにそもそも

なにそもそも いとかや わたかや なにそもそも

なにそもそも いねかや もみかや なにそもそも

 

このナゾナゾのような暗号のような歌。戸島先生の謎の言葉。様々な謎を噛みしめながら、TOJIMA MIKIOの十一文字を奏で、曲は終わる。

 戸島先生のナゾナゾから、「楽譜は演奏という行為を生み出す仕掛け」という道を選択したぼくは、新曲の譜面に「楽譜はガイドです」、「演奏者のニュアンスで柔軟に音楽を膨らませてください」と書いた。すると、山本亜美さんが、最も印象に残っている戸島先生の言葉を教えてくれた。「楽譜はガイドなんだから、君が弾きたいように弾いていいんだ。」

 この曲は、ぼくが書いたのだろうか? 戸島美喜夫や踏歌や先達から受け取ったバトン。それを、ぼくは山本亜美さんに託す。彼女の中で音楽が熟成されて発酵されていき、彼女の音楽になっていく。楽譜は橋渡しだ。

 奥三河花祭りのフレーズを曲の中に忍ばせた。

 

 戸島美喜夫へ

 いのりうた

 合掌

 

野村誠

 

そして、自宅のピアノで、戸島美喜夫作曲の《ベトナムの子守唄》を演奏した。本当に美しい曲が心にしみた。