野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

メモリバに参加した

大巻伸嗣さんのMemorial Rebirthに出演。出演というよりは参加したと言うべきか。大巻さんが音まちスタッフと地域の人々と作り上げてきた活動に、音楽家として参加した。

 

シャボン玉を大量に発生させる特製マシーンを50台校庭に設置して、シャボン玉が噴水のように、吹雪のように、空間に解き放たれる、と言っても、想像がつかないかもしれない。これを業者に委託して、どこか会場を借り切って行うイベントだったら、ぼくはピアニストとして出演したとしても、参加したとは感じなかっただろう。

 

東京電機大学の学生たちや卒業生たちが中心になった電気系統のチーム「大巻電気K.K.」や子ども向けのワークショップやシャボン踊りの踊り子になった東京未来大学の学生たち。ねぎま鍋などの屋台を出した地元の飲食店。地元の方々から昔の東加平について取材して作詞/作曲をした歌を「くるくるチャーミー」&「音まちビッグバンド」+地域の方々で歌う。場内整理にも数多くのボランティアの方々が関わっていている。長い期間かけて準備してきて、本番は昼の部30分、夜の部30分のたった60分。長い長い準備の中であった様々な出会いや出来事の蓄積があったから、今日、東加平小学校の校庭に人々が集い、その様々な感情がシャボン玉とともに噴出してくる。非常にエモーショナルな作品。

 

朝のスタッフたちに向けての挨拶で、大巻さんが「皆さんが楽しんでください」を強調していた。現場の空気感を知らずに見たら、アーティストがやりたいことを実現するために、市民がボランティアで搾取されているように誤解されるかもしれない。そうではないのだ、ということを大巻さんが強調し12年の歳月を経て、大巻伸嗣のメモリバである以前に足立のメモリバになってきているのだ、ということを現場の空気を吸って知る。だから、大巻さんとコラボすると思って来たけど、足立のメモリバに参加しに来たのだ、と知る。そして、その参加者の中に大巻さんというアーティストもいる。「皆さんが楽しんで」の中に大巻さんも含まれるので、大巻さんの美意識と世界観にとっても「楽しめる」イベントを作るのだな、とも知る。

 

昼の部も事前のリハーサルにも参加していないのに、当日のリハーサルのみ参加でビッグバンドに加えていただく。本番では、ビッグバンドの演奏者が十分いるし、ぼくは踊りの輪の外にいる会場の周縁の方に出かけていってケンハモを吹いて回った。ささやかなアウトリーチ活動。

 

夜の部は、ピアノを弾いた。静かにしっとり弾き始めるつもりで臨むが、シャボン玉マシーンのモーター音が予想以上に大きく、モーター音の勢いに押されて、音数が多くなっていく。シャボン玉は激しく時事刻々と変化し、ぼくの演奏も時事刻々と変化する。シャボン玉の方も音楽に合わせてどんどん変化してくる。本当にセッションだ。シャボン玉の反応が早いので展開が予想以上に早く目まぐるしい。途中で、モーター音をもっと聴きたいと思い、ピアノの音数を減らしてモーター音を味わったりもした。単に表面上の薄っぺらい美しさをピアノで色付けするのではなく、ここに参加する人々の内面の奥底にある様々な記憶や思いをつかまえようとしてピアノを弾く。もっともっと複雑な気持ちがあるんだ。世界に色々な生きづらさもあるんだ。苦しみもあって悦びもあるんだ。それをたった10本の指とピアノの88の鍵盤だけで、どうやってこの空間に解き放つのか、ぼくは。そうやって、ピアノを弾き続ける。シャボン玉の背後に、彫刻家の大巻さんが平面にモヤモヤを描き続けた大量のドローイングやペインティングで何かを捕まえようとしている姿も見えてくる。

 

平和とは程遠い世界に絶望し、マイノリティを平気で排除する社会の構成員として、その構造を変えることの困難さに、絶望感や無力感を抱いては、気を取り直して立ち上がり、小さなアクションを起こす。そのことに何の意味があるのだろう?彫刻の素材では、木、鉄など、永続年数の長い素材が数々ある中、「シャボン玉」という最も耐久年数(耐久秒数)の短い素材で彫刻をつくること。そこに希望を見出してチャレンジを続けて、真剣に小さな社会を再構築していこうとする試み。それは時間もかかるし、小さいな地域に少しずつしか効いてこないかもしれないけど、地道という「急がば回れ」という道。打ち上げで大巻さんが、「メモリバとだじゃれで、足立は変わったと思ってる」と熱く語った。

 

ぼくは、一番回り道みたいな道を通り続けて、この世界が変わっていく、と信じて、自分の人生の後半を精一杯生ききってやるんだ。人種差別も、ジェンダー差別も、宗教差別も、学歴差別もない世界に出会うまでは生きてやる。大巻さんも並走してくれるし、熊倉純子さん、吉田武史くん、長尾聡子さん、だじゃ研、みんながそれぞれのやり方で並走/並奏してくれている。それが(ぼくが考える)オーケストラ=合奏=社会。統率するんじゃない。制御するんじゃない。並走する。並奏する。そういう音楽/社会を奏でたい。それが《千住の1010人 Rebirth》。