野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

山本聖子《白色の嘘、滲む赤》

第19回 福岡アジア美術館 アーティスト・イン・レジデンスの成果展『ダイアローグ ー交信する身体』を福岡で鑑賞。お目当ては、美術家の山本聖子さんの新作《白色の嘘、滲む赤》。タイトルを聞くと、作品のテイストを予想できそうに思うが、このタイトルからは(少なくともぼくには)想像できない世界があった。

 

SEIKO YAMAMOTO

 

配布されているテキストを読むと、この作品の創作過程で作者が考えたことが、白色の嘘、滲む赤、という言葉に集約されるように読める。しかし、一度、展示空間に入って、20分の映像を含むインスタレーションを鑑賞すると、そんな一筋縄ではいかない。

 

色だと思ったら、映像には音がいっぱい出てくる。声もいっぱい出てくる。1968年に団地に入居し、子どもが生まれた方の回想する声。1966年に製鉄所の同人誌に書かれた詩の朗読。50年前、100年前、1週間前、3ヶ月前、色々な時間が重なり合っていて、その重曹的な時間を想像する。

 

13年前の青森で初めて見た作品では、不動産物件の間取り図を切り抜き巨大な幾何学的な模様を生み出していた。それは巨大で、柔らかい、独特な質感を持っていた。そんな質感の作品をつくる聖子さんが、学部では彫刻科で鉄を専攻していて、彼女の鉄に抱くイメージは、どうやら、ぼくが思うほど硬質ではなさそうだ。

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今回、北九州の八幡製鉄所も取材し撮影し、この新作を作成したそうだ。彼女が鉄に抱く質感は、流動的で決して不変の物ではないようだ。

 

3面の映像、コンクリートの瓦礫、バケツ、チューブ、鉄、間取り図、錆、鉄板、、、、鉄を奏でる音、解体される団地の住民の声、赤ちゃんの肌、、、、テキスト。こうしたものが共存している独特な世界観。どうして、これらが同居するのか、山本聖子の中で必然性があり、それはぼくにとっては謎に満ちている。謎ではあるが、彼女の世界に対する眼差しが、ぼくは好きなのだろう。だから、次の作品も見て、また新たな謎に出会いたいと思う。

 

11年前の京都で鑑賞した時と、全然違う作品だったけど、どちらも山本聖子の眼差しが生み出す作品。

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長野県の信州中野へ移動。長野の夜は、九州とは大違いで寒い。明日のワークショップに備えて、温泉で温まる。