野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

坂本善三美術館/すぴいかん。/阿蘇神社と踏歌

熊本県リサーチ。本日は、里村さんと熊本県阿蘇郡小国町にある坂本善三美術館へ出かけた。熊本県の大きさを思い知るドライブとなり、町をいくつも越えて、山を越えて、延々と山道を行った先に、坂本善三美術館はあった。隣には、鉾納社という神社があり、そこには夫婦杉と呼ばれる2本の巨大な木があり、その横には土俵があった。相撲聞芸術の活動をしているので、ここの土俵に大変興味を抱く。

 

坂本善三美術館は、日本で唯一の全展示室が畳敷きという文句の看板が目に飛び込む。展示室の壁は白くて、床は柔道場のような畳。坂本善三の平面作品ばかり32点から成る企画展。同じ作家の同じ時期の作品をまとめて見ると、逆にそれぞれの作品で何をやろうとしていたのかが見えてきて面白い。ずっとキャンバスに描かれた油画が続いた後に、紙に描かれた水彩画が3点だけ現れて、その筆運びの軽さと速さが浮き立ったり。サインも、zenzoというのもあれば、zen.というのもあれば、zen.53と制作年を書き込んだものもあれば、サインなしのものもある。サインなしのものは、本人的には完成していなかったのだろうか?パネルに善三の言葉がいくつか紹介されていて、当時の流行だった抽象絵画シュールレアリズムに敢えて傾倒せずに、愚直に具象画を描いて自分の絵画の基礎をつくる、との言葉。46歳でパリに留学するに至る思考。ぼくは現在52歳だが、自分の作曲の基礎、演奏の基礎はどうなのだろう、と自問する。今は、自分の音楽の基礎をつくるために、毎日、四股を1000回踏んでいる。坂本善三が静物画を描いていたことは、ぼくにとって四股。

 

企画展を見た後に、資料室のような休憩室のような部屋には、畳の上に椅子が置かれていて、椅子に座ってくつろぎながら画集やファイルなどを楽しんだ。この美術館が、職を通して善三の作品に迫った企画だったり、美術家の藤浩志さんと町の人々とで善三の作品を再解釈していくプロジェクトだったり、んまつーポス(「スポーツマン」の反対!)というダンスユニットが作品の図形になるダンスをしたり、若きマラソンランナーのアーティスト若木くるみさんが毎日いろんな企画を立てては実現していく道場だったり。面白い。

 

その後、杖立温泉にて一瞬足湯して後、帰り道に阿蘇で夕食。お店の名前が「すぴいかん」と言って、店に入ると、段ボールでスピーカーが山ほど作られていて、飾られていた。現在4年生のたいよう君が1年生の時に、絵日記に「すぴいかん。」と書いたのが屋号になったらしい。こちら、《たいようオルガン》を作曲中なので、たいよう君の段ボールの「すぴいかん。」に出会うことができて、とても良かった。定食を美味しくいただいて後(BGMは、渋い昭和懐メロ)、たいよう君に作品解説もしてもらった。阿蘇に行く時は、また立ち寄りたい。

 

supiikan.weebly.com

せっかく阿蘇に来たので、阿蘇神社まで行ってみた。昨年の6月に作曲した《初代高砂浦五郎》を作曲中に、能の高砂のストーリーを調べた。阿蘇神社の神主が京都に出かける途中に、姫路の高砂に立ち寄るところから、ストーリーが始まる。どうして、世阿弥は、高砂の登場人物を阿蘇神社の神主にしたのだろう?そこが気になっていたので、熊本に来たら、阿蘇神社に行きたいと思っていた。そして、昨年7月に《世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ》を作曲した。その時、「踏歌」について調べて、平安時代に行われていた「踏歌節会」は、その後、途絶えてしまったが、現在、熱田神宮住吉大社で「踏歌神事」として残っている、とのことで、主に熱田神宮の踏歌神事を調べて作曲した。ところが、阿蘇神社のホームページを見ると、年間行事に「踏歌節会」とあるのだ。これは、調べないわけにはいかない。四股を踏みながら声を発する「四股1000」の活動を始めたことから、踏歌に関心を持ったのだが、今日は、まるで何かに導かれるように、行く予定もなかったのに、阿蘇神社に参詣することになった。熊本の震災で倒壊した阿蘇神社の再建工事が行われている。旧暦の1月13日に行われるという踏歌節会に来年は足を運びたい。