野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

羊飼いの家でくつろぐ

羊飼いプロジェクトを長年続ける井上信太くんを訪ねた。里村真理さん、池上恵一さんと。信太くんに出会ったのは1990年で学生時代なので、30年以上前である。信太くんが古い民家に住んでいて、DIYの様子など噂で聞いていたので、実際に見に行きたいと訪れた。旧街道の古民家の中に入ると、そこには井上信太のドローイングがいきなり飛び出てくる。信太夫人の助川さんとも30年以上前からの仲なのだが、多分、会うのは20年ぶり。20年会わないので、つい昨日のようで、月日の流れとは不思議なもの。

 

信太くんとは、1991年12月のあひるヶ丘保育園での1日が歴史上の貴重な1日として刻まれている。自分の絵を見て、子どもが想像もしないようなことを言ったという信太くんの言葉から始まって、杉岡正章鶴と3人で「子どもやー!」と意気込んで保育園に乗り込んで、美術と音楽の融合セッションをして、子どもたちがトランス状態になった奇跡。あの体験が、ぼくらの原点になっている。

 

だから、信太くんと話す時は、30年くらいの歴史を、びゅーんと行ったり来たりしながら、52歳のぼくと22歳のぼくを行き来しながら、いろんなことを考える。実は、信太くんには息子がいて、今年大学を卒業しているので、既に出会った頃のぼくらくらいになっていて、でも、ぼくたちは息子になったり、父になったり、様々な時代を行き来する。

 

信太くんと助川さんの結婚式の写真の中に、ぼくと杉岡くんが写っている。恥ずかしく懐かしい25年前の自分たちを見る。少年だった日々のことを思い出しながら、「少年アート」という本を読んだことを語り合ったりする。30年も様々な体験を経て、相変わらず少年のまま。萩尾望都の「ポーの一族」のエドガーとアランのように年をとらずに永遠の時を生きるわけではないので、心は老いていなくても、確実に30年分年をとりながら、体の様々なところに不具合を感じながら、その不具合を池上さんがマッサージする。池上さんがマッサージ美術家になった歴史も、遥か遡ると小学校時代の体験に行き着く。

 

信太くんの息子の就職の話もしたが、里村さんの就職の話もした。そして、ぼくの記憶が間違っていなければ、前回、この家に来たのは2000年7月で、その時ぼくは大学に就職するための書類を書いていた。仕事のあり方も時代とともに変化していて、コロナによっても変化していて、旅への欲求もあり、能楽の650年の歴史に対して、新作を作ったり、美術史があったり、個人史があったり、まぁ、色々なのだけれども、そんな中を猫は自由気ままに歩き回る。植物は成長する。花は咲く。人間も植物のように花開いたり、枯れたり、復活したりする。循環する。生きていく。影響し合う。21年ぶりに訪ねてきたのに、でも、よく知っている故郷のようにゆっくり過ごした。