野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

井上信太くん

美術家の井上信太くんが我が家を訪ねてくる。久々の再会。信太くんと出会ったのは、1990年だし、信太くんと杉岡正章鶴くんと、あひるヶ丘保育園での伝説の1日を過ごしたのが1991年だから、もう30年にもなる。そこで衝撃のコラボをしたし、2002年に京都芸術センターでの京都クリエーターズ・ミーティングで、ワークショップや公演をした。あの時にぼくが作った曲は、「クリミ」というタイトルでCD「ノムラノピアノ」にも収録した。2006年に「ホエールトーン・オペラ」の全幕上演をえずこホールでやった時の舞台美術も、井上信太だった。

 

信太くんの情熱は、30年経っても、消えることも途切れることもなく、熱く熱く続いていて、ぼくたちは30歳年をとったのだが、パッションは衰えるどころか高まっている。語り合うのは楽しい。里村さんが十和田市現代美術館に勤めるよりも遥か以前の、現代美術館が開館する前に十和田の商店街や小学校で行ったプロジェクトの写真を見る。また、信太くんと面白いことがしたい。

 

里村さんが「シアターコモンズ」のフォーラムのネット配信を見ているのに便乗。「芸術と公共」というテーマのディスカッション。相馬千秋さんという司会の方が、一人ずつのプレゼンの後にコメントされるのだが、それぞれの方のプレゼンに影響されて、ほぼ別のテイストになるくらい語り口調が影響されていて、すごく面白い人だなぁ、と好感を持った。心を開いていなかったら、こんなに変われないから、それぞれの人の発言に本当に親身になって心を開いて聞いて、その結果、こんなに変化するのだ。仮面をかぶって、自分を一貫させようとする人々が多い中で、この変動に感動した。オープンである。シェアする。言論の上では、発言の内容は変動しないのに、心がこんなに動けることに可能性を感じた。「コモンズ=共有地」に立とうとしている。

 

「とりあえずアート」について、もう少しだけ。今を生きていて、言語化できる問題については語るし、書くし、いろいろやっているのだが、それだけではどうにもならない言語化しきれないモヤモヤした先にある何かを捕まえようとして、音楽を作るかもしれない。作曲を始める時、プロジェクトを始める時、本当の意味で何をしようとしているのか、言語化できないのだけれども、モヤモヤとイメージだけがある。だから、それを「とりあえず」形にしようと作品を作り始めたり、企画について説明を始めたりする。しかし、その「とりあえず」の創作や説明では、なかなか、そのモヤモヤの謎にはたどり着けず、モヤモヤの中の創作が続く。作品を作っていくうちに、徐々に霧が晴れて、何をしているのか見えてくることもあるし、なかなか霧が晴れないこともある。霧が晴れたら、つまんなくって、また振り出しに戻ることもある。でも、そのモヤモヤの先にある分からないことを、なんとかつかまえようとしているのが、ぼくの仕事だ。その仕事について、他者とシェアする気は満々なので、一生懸命に説明するが、何せ本人もつくる前だと、説明が難しい。だから、過去の作品について説明を求められると、いっぱい説明できるのだが、だいたい説明を求められるのは、企画の途中だったりするので、毎回、「とりあえず」の説明をしている。「とりあえず、今はこう思っています。でも、変わるかもしれません。」、「とりあえず、今はこうなる予定です。でも、変わるかもしれません。」。とにかく、「とりあえず」なのだ。現時点で判断して結論づけれるベストを言って行動を起こすための「とりあえず」。だから、「とりあえず」でアクションを起こす時には、できる限り変更が少ないように、迷惑をかけないように、最大限に考えた上で、「とりあえず」アクションを起こす。でも、アクションを起こして、やっぱりこっちかな、と気づくことがある。でも、それも「とりあえず」をやったからこそ、気づける。そして、気づいて、霧がぱっと晴れた時は、素直に謝って、方針転換を告げたりする。でも、「とりあえず」行動を起こせることで、生み出せた作品も多い。「とりあえず」に付き合ってくれる仲間(例えば、だじゃ研など)にも、大感謝だ。