野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

季刊ケンハモを読み返す

本日も朝から四股1000回。今月は、ずっと四股を踏んでいる。自分がカウントする時は、インドネシア語で1−100をカウントしている。

 

サトゥ、ドゥワ、ティガ、ウンパッ、リマ、ウナム、トゥジュ、ドゥラパン、スンビラン、スプルー、、、、、 

 

インドネシア語でカウントが上達してきた。ポーランド語の100カウントも、慣れてきた。

 イエデン、ドゥバ、チシ、チテルイ、ピエンチ、シェシチ、シエデム、オシエム、ジェベンチ、ジェシェンチ、、、、

 

100カウントの仕方が人によって様々で、恐竜の名前を100種類言う人もいれば、キノコの名前を100種類言う人もいる。歴代横綱の名前を全部言ったり、日本国憲法を読んだり、いろいろなカウントがある。人それぞれだ。

 

ホルスト盆栽」の作曲を進めて完了。ピアノで弾いてみて確認しつつ、推敲。

 

Geofferey Skelton著《Paul Hindemith - The Man Behind the Music》読了。筆が速くどんどん書けたヒンデミットが、アメリカでの15年間の生活の後、ヨーロッパに戻って以降、指揮者としての活動が増えていき、作曲家としては寡作になっていく。晩年はエネルギーが衰えていく感じ。ヨーロッパに戻った直後のこのソナタは、いい曲だと思った。

 

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さて、昨日紹介した通り、本の表紙を紹介するバトンが回ってきた。ルールに従って1週間ごとに7倍の人がやると(再生産数が7!)オーバーシュートするので、ルールには従わずに、バトンも渡しません(開始後2ヶ月くらいで、数億人の人がやることになる!)。でも、紹介したい本の表紙があるので、とりあえず、この本を紹介。今でも入手可能なのか?

だだーーーーーーーん!!!

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その本は

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季刊ケンハモ vol.1 November 2004

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です。これは、本当にレアなものなので、大切に保管しております。そして、当時の連載記事の中から、野村が書いた「ぼくと鍵ハモ」の本文を読み返してみたら、全文を転載します。

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「ぼくと鍵ハモ」 by 野村誠

 連載コラム担当することになった野村誠です。よろしくお願いします。今回は、ぼくの自己紹介も兼ねて、少し鍵ハモ歴を。
 作曲を志し、演奏する楽器はピアノ。そんなぼくが鍵ハモに興味を持ったのは、93年。友人で画家の杉岡正章鶴が加入していた現代美術の協会で、パフォーマンスをしようと相談し、歩行器に山ほど鍵ハモを置き、周りにタコ状に息を吹き込む人がいて、それを演奏しながら移動したら面白いのではないか、というのが、きっかけです。結局、このパフォーマンスは、様々な練習や実験をしていて、公演という形では実現しないのですが、このパフォーマンスをするために、10台以上の鍵ハモをリサイクルで集めました。
 その後、美術家の島袋道浩から、
 「もしもし、野村くん。ぼくピアニカ買うてん。」
と電話があり(しかし、正式には彼が購入したのは、ピアニカではなく、ゼンオンのピアニーであったが)、彼に鍵ハモの演奏を教えるために、路上で演奏した。
 それで、その後、94年に渡英して、1年間イギリスに住むことになったので、ピアノは持っていけないし、と軽い気持ちで鍵ハモを持っていった。
 すると、この楽器イギリスでは珍しいらしく、
 「何だ、この楽器?どうやって音が出るの?すごくいい楽器だね。スズキ、メローディオンっていうのか、素晴らしい。」
と大好評。吹奏楽器と鍵盤楽器の両方の表現力を合わせ持つこの楽器は、すごいと驚いた。
 94年11月、ロンドンでスクラッチ・オーケストラ結成25周年コンサートというのが開催されることになった。25年前、作曲家コーネリアス・カーデューの呼び掛けで、実験音楽や即興音楽の様々な試みをしていた仲間が大集合した上、スクラッチ・オーケストラを知らない若い即興ミュージシャンも交えた大イベント、合計9時間のコンサートになり、ぼくもクリスチャン・ウォルフの曲の演奏に参加した。この曲の演奏のためのワークショップを進めたのが、作曲家のデイヴ・スミスだったのだが、彼が、
 「できるだけ、色々な変わった楽器を使って下さい。例えば、メロディカとか。」
と言って、自信満々に鍵ハモを出した。そうか、鍵ハモって、この国では、本当に変わった楽器なんだ。
 95年3月に、ヨーク大学に留学中のレンタロウ君の妹さんが遊びに来た。妹さんは音大生で、クラリネット専攻、オーボエ専攻の友人と二人で来た。そこで、ぼくは以前、友人の沢民樹くんと作ったワルツをベースに、クラリネットオーボエ+鍵ハモの3重奏を作曲してみた。初見で合わせてみると、この3つの楽器、すごく相性がいい。その時の譜面は、どこかに紛失してしまったが、これが初めて書いた鍵ハモ付きの曲だ。
 95年5月には、Hugh Nankivellと数人のミュージシャンでバンドを作り、数カ所でライブをした。ヒューは韓国で購入した鍵ハモなど、何本か鍵ハモを持っていたので、鍵ハモを何本か使った曲をライブでやった。これが、初めての鍵ハモ合奏。
 それから、時々、イギリスの路上でも、鍵ハモ吹いていました。その後、ギリシャやドイツの路上でも吹いたりして、95年の10月に帰国。12月に東京に住み始める頃、たまたま河合拓治さんが鍵ハモ3台+トランペットの曲を作曲し、それを河合さん+野村+鈴木潤さん+野沢秀樹くん(トランペット)で練習した。その後、4人で路上演奏したら、鍵ハモの音が同じ音域で交じり合うヘテロフォニーな響きに魅了され、すっかり魅力にはまってしまいました。
 96年4月に、ドラマーのチャールズ・ヘイワードの来日ツアーでターンテーブル奏者の大友良英さんと久しぶりに会った。
 「野村くん、最近どんな活動してるの?」
その時に、自作の話とか色んな話をした中で、鍵ハモの話をすると、
 「ピアニカっていいよね。ぼくが共演した中では、しばてつさん、って知ってる?それと、ピアニカ前田さん、って人が面白かったなぁ。」
みたいなことを言っていて、ぼくはその時、どっちも知らなかったので、へー、そんな人がいるのか、と思ったものでした。
 
以下、次号につづく

 

以上、「季刊ケンハモvol.1 November 2004」より転載

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Adrian Thomas著《Polish Music since Szymanowski》を相変わらず少しずつ読んでいる。第2次世界大戦後の社会主義リアリズムの時代に入り、ポーランドの民謡を題材にしたり、分かりやすさを求められる中で、作曲家たちが上演禁止されたり生き方を模索した時代。Palesterは、拠点をパリに移す。

 

そんな中、本日は、その当時の若い世代の「Group 49」の3人の作曲家と社会主義リアリズムのあたりを読む。

Jan Krenzの「ラプソディー」(1952)

(バルトークの「弦、打、チェレスタ」の編成にそっくり)

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Tadeusz Bairdの「交響曲1番」(1950)

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Kazimierz Serockiの「ピアノ協奏曲」(1950)

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