相変わらず、Adrian Thomas著「Polish Music since Szymanowski」(Cambridge University Press)を読んでいる。ポーランドの作曲家たちは、戦争でナチスに国家を壊滅的にされ、戦後になって、ポーランドの文化庁から規制され、作品が禁じられる。社会主義リアリズムの始まり。ナチスが退廃芸術を禁じ、ポーランドの文化庁が形式主義芸術を禁じる。踏んだり蹴ったりとはこのこと。一部のエリートのための難解な音楽を禁じ、農民や労働者のための平易でわかりやすい音楽を正義感を持って推奨する文化庁の役人たちの社会主義リアリズムの当時の言葉を読んで、ポーランドの作曲家たちが気持ちが折れずに作曲し続けたことに、感銘を受けるし、勇気付けられる。
とポーランドに思いを馳せていたのは、ほんの少しの時間で、今日のほとんどは古文と漢文を読んでいて、平安時代の相撲の儀式の音楽を勝手に想像していた。
JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)で相撲と音楽に関するプロジェクトを次々にやってきたのだが、その中で相撲に関するリサーチを色々やったので、時間がある時に整理して本にしたいと思っていた。ところが、なかなか時間がなく、先送りになっていた。今、突然、時間ができた。そこで、研究と執筆に最大限に時間を割いている。
で、平安時代の「相撲節会」という儀式について調べるために、文献を読み漁っている。今日は、まず「うつほ物語」。高校卒業後の33年間古文を読むことが皆無だったが、だんだん慣れてきて、意味がわかるようになってくる。ほとんど平仮名なので、暗号解読のような感じなのだが、わかると楽しい。例えば
まざいらくをまいて → 万歳楽を舞いて
はうしあはせてあそび → 拍子合わせて遊び
といった具合。「拍子合わせて遊び」と言われれば、わかる。ちなみに、万歳楽は雅楽の曲として現在まで伝承されているようだ(これが、門付け芸としての万歳になり、お笑いの漫才になったのか)。
それから821年に編纂された「内裏式」には、相撲節会の儀式の段取りが細かく書かれている。こちらは漢文で読んでいくと、おそらく
標を立てる → 謝座、謝酒 → 乱声(門外)→ 音声 → 中央に標 → 三丈旗 → 左の厭舞 → 右の厭舞 → 占手相撲(4尺以下の子ども)→ 勝者に乱声(舞なし)→ 最手(20番ある相撲の最後の取組)の勝者に乱声+舞 → その後、左右交互に演奏
という内容。相撲が始まる前に行う厭舞は、振鉾とも書くらしく、現在も伝わっているが、動画を見る限り、弓取り式に似ているかも。
さらには、873ー877年に編纂された「儀式」の中にも相撲節の段取りが書かれている。ここでも詳しく色々書かれているのだが、衝撃的だったのが人数が書かれていたこと。
舞人40人、散楽40人、垣代相撲人40人、鉦2。宝螺(法螺貝)各2人、大鼓10、唱名者各2人、立籌者各2人、立合者各2人、執桙者各12人、‥‥
といった具合に、文献を整理しながら、脳内では妄想の「相撲節会」の儀式が執り行われ、音楽もダンスも曲芸も、出てくる。子ども相撲もある。本当に空想するだけで、ぼくの脳内での想像上のパフォーマンスが面白くって、触発され続ける。
そして、登場する曲目と現代の雅楽/舞楽を照合しながら、また、当時の音楽を空想するのも楽しい。相撲に登場する雅楽の曲を片っ端から自分の身体に入れてみたい。とりあえずは自分で弾いて楽しむピアノ曲集でも作ってみようかなぁ。
というわけで、2020年であることを忘れて、平安時代で過ごす1日。
本日も、1000回四股の集いをやる。タイ語でカウントする人、ポーランド語でカウントする人、七尾弁でカウントする人、沖縄カウントする人、そろばん読み上げ算風カウント、念仏カウント、アニメ声カウントなど、声のバラエティが面白い。これは、本当に「踏歌」かもしれない。現代の「踏歌神事」の創作がいつの間にか始まっているのかもしれない。