引き籠りの日々が始まって1ヶ月が経った。近くにいる人に会えない環境になったことで、不思議なことが起きている。遠くにいる人から、連絡がきて、コラボレーションが始まっているのだ。
例えば、今日は、マレーシアの作曲家チョーグワンからコラボレーションの提案が来た。音源が送られてきて、その音源に合わせて1分間の演奏をしてビデオにとって送り返して欲しいというのだ。先週は、イギリスの作曲家のヒューから楽譜が送られてきて、それをピアノで弾いて音源を送った。その音源が新たな楽曲となったことは3日前の日記で紹介した。ポーランドの音楽学者のマルサナがコロナウイルスの影響で、活動がどのように変化したのかをインタビューしたいと取材の申し込みが来て、明後日にはインタビューに応じる。今日は、ドイツに住む中国人アコーディオニストから、ぼくが作曲した曲を演奏したビデオが送られてきて、演奏に意見を求められた(非常に素晴らしかった)。昨日は、京都にいる鈴木潤さんと東京にいる片岡祐介さんと遠隔で即興演奏もした。東京にいる砂連尾理さん、大阪にいる佐久間新さんとも、遠隔でオンライン即興セッションをしている。そして、東京や茨城や京都にいる相撲聞芸術の仲間たちと、連日、オンラインで四股を1000回踏む会を続けている。今日も四股を1000回踏んだ。1ヶ月前には想像もつかないような形で、次々にコラボ企画が加速度的に進行している感じがする。
こうやってネット上でオンラインで集っていて思うのだが、インターネット上の世界では、人と偶々バッタリ出会うことが、なかなかない。たまたま本屋に入ったらバッタリ会うとか、たまたま居酒屋に行ったら誰かとバッタリ会った、という感じ。今は、敢えて会おうとして会っている。でも、例えば、買い物に行ったら、偶々知り合いに会ってしまって、せっかくだからお茶をした、みたいなことを欲してくる気がする。アマゾンで買い物している最中に、偶然友達と出会ってしまい、買い物をやめて交流を始めるような、ネットの世界も、そういう偶然の出会いが起こるようにデザインした方がいい気がするなー。
今日は、「相撲節会」のリサーチに明け暮れる1日だった。昨日出会った衝撃的なウェブサイトで、相撲節会に関する記録がアーカイブされていたので、そこにある相撲節会に関する文献を片っ端から読みまくり、音楽に関するところを、とにかくチェックし続ける。要点は、
1)861年、880年の「相撲節会」に散楽、雑技、音楽などの記述あり
2)907年には、「布引」があり、これは狂言の「首引」とも類似する
3)918年には、太鼓、鉦鼓の記述あり
4)932年、腰祖相撲、踏歌の記述あり。(*踏歌神事)
5)1023年、具体的な雅楽の曲名など記述あり
6)1088年、1091年、具体的な雅楽の曲名に加えて、演者の人数なども
7)1095年、万歳楽が登場
8)1158年、笙、篳篥などの記述あり。
といったところ。時間がある時にリサーチしようと放っておいたテーマを思う存分調べられる時間がとれていることは、非常に恵まれていると思うので、感謝したい。
ヒンデミットの伝記を読んでいるが、アメリカに亡命しての15年間まで読み終える。ナチスに「退廃音楽」と禁じられたヒンデミットの音楽は、第二次世界大戦直後のドイツでは、半年で「画家マチス交響曲」が50回とか、すごい回数で演奏される。1950年代になると、次々に名誉市民だったり、称号も授与される。帰国前のお別れパーティーで、ヒンデミットのパーティーピース「Minimax」が演奏された。これは、わざと調子っぱずれの音がしたり、いろんな曲が引用されたり、お笑い音楽。