野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

第3回だじゃれ音楽研究大会

 本日、「第3回だじゃれ音楽研究大会」を開催しました。こちら、主催者の一人として、本当に手応えを感じたイベントで、良い意味で心底アマチュアの力を感じた一日でした。圧巻だったのは、分科会。90分の間に、3つの会場で、(5分―15分程度の)約30のプログラムが同時開催。内容は、音響物理学の説明、手作り楽器体験、DV問題の啓発する歌曲の練習、即興アンサンブル、すたすたスタッカート(の習得法)、いきのこるキノコの話、都道府県の暗記法、夫が語る夫SAY(=おっとせい)、だじゃれ創作法、ゴスペル体験、ホラ貝でほら吹き供養、言葉でダンス、カッパのカメ楽器体験、カエルの鳴き声、(女性に人気の)メイクの講座、などなど。雑多で濃密な演目の数々に、身内ながら驚嘆。
 通常、アマチュアの音楽活動と言うと、吹奏楽団、合唱団、ロックバンドなど、色々あるのですが、だじゃ研(=だじゃれ音楽研究会)のようなクリエイティブなアマチュア音楽活動は、決して多くありません。市民文化祭などで発表されるアマチュア音楽の多くは、家族や友人が観客として来場するものの、新しい芸術文化が生まれてくるような場と感じられることなど、希有だと思います。
 でも、アマチュアにはそういう可能性がある。職業的なプロの音楽家の音楽が、クオリティを求められるために保守的になりがちなのに対して、アマチュアは純粋に楽しめばいい。純粋に、愛好家として、好き放題やれる強みがあります。アマチュアこそ、自由に勇気を持って何でもできるはずなのです。しかし、多くのアマチュアはプロの模倣に留まり、プロの音楽家よりも保守的であることの方が多いのです。しかし、アマチュアこそ、リスクを冒すことができる真の文化創造者になり得る、ということを、本日の「第3回だじゃれ音楽研究大会」が大きく物語っていました。
 本日の研究大会では、司会、基調講演、コンサート、講座、ワークショップのほとんどの演目は、だじゃ研メンバーが考案し、メンバー自身が進行しました。しつこいですが、これらが、半端なく多様で、半端なく面白かった。(ぼくを含む)アーティストやアート関係者のほとんどが、「高尚」な「芸術」という衣を脱ごうとしても、なかなか逸脱することに苦労し、いつまでも旧来の「芸術」の枠に囚われてしまったりします。「だじゃれ」を言うのには勇気がいるし、「駄作」になることを恐れずに発表することも勇気がいる。現代のアートに停滞や閉塞感があるとすれば、そうした勇気のないプロフェッショナリズムの弊害が大きいはずです。もちろんプロの音楽家が培ってきた能力や技術は素晴らしいのは、言うまでもありませんし、それを否定する気はさらさらありません。でも、プロは、もっともっとアマチュアから学べると思うのです。
 最近、各地でワークショップ・ファシリテーター育成講座のようなものが開催されたりしています。「千住だじゃれ音楽祭」は、人材育成として企図されたものでないにも関わらず、かように多種多様なファシリテーターが育成されてしまいました。これは、想定外の副産物でした。2011年より8年間もプロジェクトを継続させていただいた成果が、じわじわと現れているのだと思います。今こそ声を大にして言えます。税金を投じて一部の愛好家の趣味の場を育んでいただけではないのです。税金を投じて愛好家の趣味の場を保証し、その成果として、それらの愛好家が他の市民に対して開かれた講座の講師を担える人材に成長し、市民による市民のための芸術文化活動が実現しているのです。
 今から23年前、イギリスのヨーク大学の教授だったジョン・ペインターから、「マコトが200人いたら、マコトをイギリス中の学校に派遣することができる。しかし、マコトは1人しかいない。どうしたらいいと思う?」と問いかけられたことを思い出します。もうジョン・ペインターは故人となってしまったけれども、彼に伝えたいのです。だじゃ研のことを。マコト一人では体現できないことを、彼ら/彼女らとともに実現できていることを。
 ということで、8年目で「千住だじゃれ音楽祭」は、ここまで来ました。結成10周年となる2020年どころか、2021年以降も「だじゃれ音楽」はしぶとく続いていくことでしょう。オリンピック・パラリンピックが終わった後、2021年以降の東京でのアートの展開について、どんなビジョンがあるのかと尋ねる人への回答として、今日の「第3回だじゃれ音楽研究大会」を提示したい。2020年代になると、今日のだじゃ研のような活動がたくさん起こってくる予感がします。今日は、確かにそんな手応えを感じました。後に、2018年12月22日は、歴史の転換点と語られることでしょう。しばらく、今日の出来事の意味を考えてみたいと思います。そこに、アートの未来があると直感するからです。
 「ボロボロボレロ」と「ハチャケチャ」の余韻に浸りながら、打ち上げでも、佐久間さん、だじゃ研の皆さん、純子さんや音まちスタッフのみんなと語り合いました。ああ、こんな場面に遭遇できるなんて!次は、どこに行くんだろう。ワクワクします。