野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

バルテュス、長谷川泰子、ディディエ

ジョン・ケージが生まれてから102年になります。本日は、亡きケージさんの誕生日。ようやく京都市美術館に「バルテュス展」を見に行くことができました。本当に雄弁な絵画の数々でしたが、ちょうど今のぼくの年齢(45歳)の頃に、住まいを変えて、違った画風に転換した作品群が素晴らしく、勇気づけられました。

その後、アートスペース虹にて、「長谷川泰子展」を見ました。風景の中で、白い服を来た人物が多数いる絵画で、何か野外パフォーマンスのようでもあり、刺激を受けました。虹のオーナーの熊谷さんとは、アトリエ劇研の前進であるアートスペース無門館の遠藤さんについての昔話をしたりして、気がつくと学生運動の時期のデモや火炎瓶や警察の話などになっていました。

時々、大雨が降りましたが、幸い移動中はやんでいたので、無事、自転車でアトリエ劇研に。本日もディディエ・ガラス「ことばのはじまり」公演。2日目です。昨日と変更点もあったので、大筋は同じでも違ったストーリーになりました。微妙な変更をすることで、また新たな問いが浮かび上がってきて、また次なる問いに向き合いながら、「ことばのはじまり」のツアーが続いて行くのだろうと思います。

ディディエは、どんなに作品づくりに時間がなくなっても、毎回キャスト全員で必ず2時間近くヨガの時間をとります。これは、一体なんだろう?ずっと気にかかっていました。そして、西田幾多郎の哲学の話が作品から姿を消していくにつれて、禅のことを考えるようになり、ディディエはヨガを通して、瞑想、呼吸、ということを通して座禅のような体験を目指し、西田幾多郎の言葉を身体で理解し共有しようとしていたのではないか、という気がして来ました。となると、ヨガに参加していない音楽家のぼくは、座禅を組まねば、彼らの言語を共有できないのかもしれません。しかし、ヨガなく日常生活の中から来た観客との空気を共有するために、音楽家がその世界に行ってしまってもいけないでしょう。我々は彼岸の岸辺で、メディエーターとして、その間に存在する。その立ち位置を問われ続けるのです。日常と瞑想の間を自由自在に行き来すること。瞑想であって、迷走していてはいけません。明日は2回公演。瞑想しつつ本番を体験したい。そのためにも、待つこと。信頼すること。心を開くこと。ベン・スハルトの即興の3つの原則。

http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20110607