野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

au revoir, didier

今年4月の稽古、8月の4週間の稽古を経て、京都で6公演、三重で2公演を経て、鳥取の2公演で、ディディエ・ガラス「ことばのはじまり」の全プログラムが完了です。本日が千秋楽。

本当に楽しかった最後の2日間のドラマを、俳優の坂口さんのブログで写真つきで楽しめますので、まずは、こちらを参照して下さい。
http://blog.livedoor.jp/sakaguchi1975/archives/2014-09-21.html

そして、最後まで諦めない人々が、最後の公演でも、過去をなぞることなく、現在を生きていました。ディディエの台本に、ici et maintenant(今、ここ)と書いてあったことを思い出します。今、この時間と空間を共有していること、それこそが舞台芸術の醍醐味です。同じ作品であっても、昨日のこの時間と空間と、今日のこの時間と空間は、違います。そんなことを、ディディエは西田幾多郎の哲学から学んだのかどうかは、定かではありませんが、でも、いつもそんなことを言っていました。

自分達が演出家と長い時間をかけて作り上げた作品の道筋がある。でも、この今、この空間に舞台に立っているのは、出演者であり、演出家ではない。演出家と取り決めたことは、過去の結論であって、現在の結論ではない。過去の決定に100%従う?現在の感覚で直感したことを100%否定する?ぼく達は、常に現在を生きるのだ、とディディエは言う。現在を生きることは、もちろん過去を否定するわけではない。過去を踏襲しつつ、でも、現在に判断する。じゃないと、今を生きている意味がなくなってしまう。過去に決めたレールの上を走り続けるのでは、現在の意味はないし、未来はやってみなくても、全て確定してしまう。でも、違う。現在は現在で、未来は未来だ。

ディディエは、開演前の時点での結論を言うけれども、出演者は開演後の時間の中で、勇気を持って、大胆にチャレンジできる。それは、そうした勇気を理解してくれる演出家への信頼と、フォローしてくれる共演者/スタッフへの信頼があるからだ。微妙な変更ができるのは、共演者がアドリブで対応してくれるという信頼関係に支えられているからだ。そして、ディディエと我々は、そうした関係作りを、ずっとずっと続けてきた。そして、それは、舞台芸術ではもちろん、本当は全ての日常生活でも、大切なことだと思う。

半分、涙目のディディエと別れて、京都に戻る。ディディエは明日、パリへ戻る。ぼくらそれぞれが、それぞれの現在を生き続ければ、きっと未来に、「ことばのはじまり」の次のフェーズがはじまるだろう。Merci beaucoup.