野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

本番2日前ですが、曲は大幅に変わっていく

ジョグジャでの日々も、残り5日、コンサートまで2日。午前中、コンサートのプログラムのための原稿を書く。最初、英語で書いてギギーにインドネシア翻訳してもらおうと思ったが、これまでインドネシア語で話し合ってきたことなので、結局、インドネシア語で書いて、ギギーに添削してもらうことに。

今日は、夜にトゥンビでリハーサル。これまで佐久間家で練習していましたが、メメットさんの提案で、ガムランの楽器と西洋楽器が混ざる場合、ガムランの楽器が変わると、チューニングが全然違って大変なことがあるので、あらかじめ確認の意味も込めて、トゥンビでリハーサル。幸い、トゥンビのガムランのピッチは、佐久間家のガムランより若干高めだが、ほとんど同じだった。一安心。当日は、博物館の中で演奏するが、今日はガムランが置いてあるプンドポ(半屋外)にて練習。

当日の曲順を考える。ジャワ人3人、日本人2人の曲があるから、ジャワと日本を交互にしようとなり、あっさり年功序列で、ギギー、くみこ、ウェリー、まこと、メメット、という曲順になる。そして、その順に練習することに。

まずは、ギギー君の曲。本番の2日前なのだが、ギギーの曲は、ほとんど新曲と言って良いくらい大幅に改訂された。曲のコンセプトは、当初は、1)海のイメージ、2)忙しい現代社会、3)ナレーションと祈りの歌、という3部構成だった。海、忙しい現代社会、というイメージは変わらないようだが、1)で、「こんにちは、お魚さん、元気?」という意味のナレーションがインドネシア語と日本語で語られるところ、玩具のアヒルを鳴らすところが、新たに付け加えられた。2)の忙しい現代社会の部分は、メロディーを作曲してきて、それをフルートとプキン(ガムランの楽器)で演奏することに。ぼくはプキンを担当。さらに、ウェリーとくみこの二人がクンダン(太鼓)の掛合いでリズムをすることに。そして、合図で楽器から急にアカペラの声のアンサンブルになったり、クレッシェンド/デクレッシェンドをしたりする。

続いて、くみこさんの曲。これは、昨日やったことを、ちょっと確認。昨日の約束事を、みんなが忘れていたようで、昨日ほど効果的にいかなかった。これは、再度確認すれば、よくなるだろう。

既に曲は完成していると思われたウェリーの曲だが、ウェリーは、笛をぼくに渡し、「マコトは、最初この笛」と言う。曲の冒頭部分は、会場の周辺に演奏者がちらばり、即興演奏をしながら入場してくる、というアイディアらしい。これで、この曲も長くなった。本番2日前くらいに、どんどん追加されていくのが、インドネシア流なのだろう。演奏者が実際に楽器のところに集まった後は、昨日のリハーサルと大きな変化はない。全体の流れは、1)会場を取り囲んでの即興、2)全体の決め+ギギーの鍵ハモメロディーが交互に、3)7拍子のリズムの繰り返し、4)9拍子のゆったりしたメロディーとニョト先生の歌、5)4拍子スレンテムのベースにのせガンバン(木琴)アドリブ、6)9拍子×3+8拍子のリフ、楽器の場面とアカペラの場面が交互に、という展開。

ぼくの曲は、前半の「radiasi-tradisi-komposisi」のリズムで進める前半は、西洋音階の楽器、ガムランの音階の楽器が混在し、「nasi-basi-asi」となる中盤は、全員スレンドロ音階のガムランの楽器になり、後半は、そこから自由に何でもありになる。その辺の楽器の選択やコントラストの付け方、流れの確認などをした。

最後にメメットさんの曲をやろうとすると、「ここは周囲の音がうるさくて、集中できないから、今日はやらない。明日、マコトの家でやろう」と言う。確かに、バイクの往来の音が大きい。インドネシア人は、バイクの騒音は気にしないのかと誤解していた。みんなでご飯を食べようとすると、メメットさんは、先に家に帰ると言って帰って行った。きっと、家族との予定がいっぱいあるのだろう、と想像した。しかし、どうやらそうではないことが、翌日のリハーサルで明らかになる。メメットさんの曲は、本番の前日に、大変貌する。他のメンバーは、練習が終わった後、楽しくご飯を食べながら歓談する。食後、ニョト先生が、自宅に招待してくれて、自慢のスタジオを見せてくれる。今日も濃厚過ぎて、興奮してすぐには寝付けなかった。