野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

舞踊学科の授業

舞踊学科の先生で、作曲家のスボウォさんの授業「舞踊音楽の作曲」の学生の作品を録音しに行く。スボウォさんは、伝統音楽の家で育ち、大学に入る以前に、ガムランの音楽は既に習得していたため、大学ではジャワ舞踊を学ぶ。大学在学中に、ジャワ舞踊、バリ舞踊、スンダ舞踊、スマトラ舞踊など、数々の舞踊を全て習得し、舞踊科の先生になりながら、作曲家として活動するという奇才。特に、舞踊の音楽を作曲すると、音楽のことも踊りのことも分かっているので、見事なのです。スボウォさんの授業では、舞踊の学生が、ガムランの楽器も、歌も、石も、鉄パイプも、何でも楽器にしながら、曲を作曲。これを録音した後、自分達が作った音楽に合わせて踊りを作って発表する、というもの。音楽も踊りも作るのです。

学生達が歌も照れることなく、見事に歌い上げるし、ガムランの楽器も、伝統に縛られることなく自由に楽しんで演奏するし、実際、曲調が展開して、いくつかのシーンができてるし、なかなか、ダンスの音楽として悪くないのです。スボウォさんによると、学生達は最初は非常にこわがっていた。でも、「誰でもみんな作曲できる。自分の好きな音を持ち寄ればいい。伝統音楽のやり方を知らなくても、何も問題ない。」と言って、はっぱをかけたそうだ。

その後、スボウォさんのインタビュー原稿を書き起こしたものを、見てもらう。「別の音律の楽器でも、一音でも一緒だったら、一緒にやって問題ない」という考えに共感した、と伝える。つまり、ほとんど違って、一つでも共通点があれば、一緒にやれるという考え方が、凄いと思うのだ。結構似ている部分が多くあっても、「あいつとは、あそこが違う。だから、考えが合わない」と、違いに着目して、仲違いしたり対立したりするケースが多々あるのに、スボウォさんは、ほとんど違ってても、問題ないと言うのだ。今日は、ダメ押しで、「彼に一つも同じ音がなかったとしても、それでも問題ない。その場合は、違う音同士でハーモニーになるからだ。西洋音楽にハーモニーという考え方がある」と発言。ハーモニーという概念を、これだけ自由に解釈しているスボウォさんは強い。

夕方、舞踊学科の環境の中での振付、という課題の発表を見る。キャンパス内の各所を舞台にして、繰り広げるダンス。ますます、自由になっていくインドネシア人たち。