野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

応援する仲間たち

ギギーのインタビューも書き起こし、これで5人のインタビューが完了。いよいよ6人目。ジャワ・ガムランの伝統音楽の作曲家、非常に才能溢れる若手のウェリー君にインタビュー。通常、30分弱で終わるインタビューは、40分にも及んだ。ウェリーは、ガンバンという木琴をかなりユニークな演奏法をしたりするのだが、これは、実は、昔タイやカンボジアの音楽家と交流した時の体験からのインスピレーションらしい。たった、一度、異国の音楽と接しただけで、こんな風に吸収し消化するところが、彼の才能。アニメの音楽でも、野村誠の音楽でも、何でも聞いたら、それを取り込んでいく、と言っていた。ジャワの古典音楽の基礎がしっかりしている上で、彼のように外の情報に対して開いていると、凄いことになっていく。インタビューを書き起こすのが楽しみだ。

その後、ジョグジャの芸大の大学院にて、「こども創造音楽祭」に向けたワークショップの2回目。受講生は、西洋音楽学科の学部生。マングナン小学校でも、大阪の豊崎東小学校でもやった「tuwagapa」という曲、さらに、宮城のえずこホールで生まれ、野村誠片岡祐介著「音楽ってどうやるの」(あおぞら音楽社)でも紹介した「手拍子のロンド」をやり、Peter Wiegold風の指揮による即興演奏もやり、最後に歌づくりをした。既に小学校でワークショップを始めている大学生たちに、できるだけ色々な体験をしてもらおうと、やってみました。

夜は、ピラミッド・カフェの裏にあるレコーディングスタジオで、メメットさんのバンド「Gangsadewa」のレコーディングを見学。16日にジャカルタで公演するため、明日にはジャカルタへ。その前のジョグジャでの最終リハーサルであり、全曲録音しようというのだ。8人編成のバンドで、スマトラ、スンダ、ジャワ、バリ、カリマンタンなど、様々なインドネシアの民族楽器を共存させているバンド。それにギターやベースも加わる。それぞれの楽器にマイクを立てて、本格的なレコーディングだ。そして、レコーディングなのに、アスモロさんをはじめ、ジョグジャの現代音楽関係者が、応援に集まっていて、レコーディングを見ているような、単に外で雑談しているような感じで、見守っている。こんなに来客が多いレコーディングも、インドネシアならではだが、こうやって応援に来る仲間意識というのが、ここにはある。録音とは密室でこもってやるものではなく、みんなに暖かく見守られてやるものなのだ。そして、ジャカルタ頑張ってね、とみんな応援する。

夜の7時に行ったが、いっこうに録音が始まる気配がない。せっかく日曜日なのに、どうして、夜に始めるのか、だんだん事情が分かってきた。日曜日の深夜は、道路の交通量が減り、騒音が最小限になる。その時を見計らってのレコーディングなのだ。防音完備ではない。外の音も入る。でも、最小限に、ということらしい。結局、8時を回ってから、録音が始まっただろうか。1曲ごとに使う楽器は違うし、1曲目を3テイクくらいやって、落ち着いた時には、既に9時半。2曲目の録音が始まる頃には、徐々に応援に来ていた仲間も帰って行く。日曜日の夜だから、そりゃそうだろう。

録音中は扇風機を止め、録音が終わると、演奏者が一斉に扇風機の前に集まって来る。録音を始めようとすると、トッケーが鳴き始める。トッケーが鳴き止むのを待って、3曲目の録音が始まる。このまま7曲録音すると、朝までだなぁ、と帰ることにした。ジャカルタのコンサートがんばってね、と応援のメッセージを残して。帰ろうとすると、そこには、ギギー君のジョグジャでのお父さんとでも言うべき人がいる。「あれ、マコト、いつ来たの?ギギーに会ったかい?久しぶりに会って、ギギーはどうだった?彼は変わっていたか?」と聞いてくる。我が子のようにギギーのことを大切に思っているのだ。ギギーは、2年前よりも、さらに成長していて、本当に素晴らしいと伝えると、「ぼくはね、ギギーはインドネシアベートーヴェンになると思うんだ」と、お父さんは熱く語り始める。そして、ご自身が思い描くギギーの今後について語る。「この話はギギーには言ってないから、内緒だよ」と言うので、どんな構想だったかは、内緒にしておきます。でも、こうやって、影で応援してくれる大人がいて、若手アーティストが成長していける。メメットさんのコンサートも、ギギーの作品も、一人で作っているようで、実は、みんなの応援によって支えられているチームプレイなのだ。こうやって、こうやって、応援してくれる仲間がいっぱいいる環境を、本当にいいなぁ、と思う。

いよいよ帰ろうとすると、レコーディング中にも関わらず、部屋の中まで聞こえるような大声で話している声が聞こえる。芸大の作曲科のロイケ先生だ。かつて、芸大の大学院で、ぼくが作曲の集中講義をした時に、ぼくの生徒であったことのある人で、その時も、必ず授業に大幅に遅刻して来ていた。2年前、ロイケの大学院の授業を見学させてもらった時も、必ず1時間以上遅刻して、講義を始めていた。メメットの応援にやって来るのも、みんなが帰った10時半過ぎに現れる。この人は一環して、遅れて来る。それまで大声で騒いでいたロイケが、「あ、マコト先生、いやぁ、あの、また連絡しますので、、」と突然恐縮した声になる。彼はぼくよりも年長者だし、2002年に一度だけ集中講義をしただけなのに、妙に下手に出てくる。これも、彼のキャラなのだろう。こんな色々な仲間に見守られながら、メメットさんのバンドは、黙々とレコーディングを続けていた。