野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ウーキルのちギギー

ウーキルと一緒に、マラン行きの電車のチケットを買いに行く。マランまで、通常エグゼクティブ席で、片道3,000円ほど。エコノミー席で800円。ところが、プロモーション価格のエグゼクティブ1,000円が2席だけあったので、これを購入。運良く、行きも帰りも安い切符が手に入る。とは言え、こちらは、調査費を支給されているので、安いチケットにしなくても良いのだが、安いチケットになったことで、ウーキルの分も、こちらの予算で出すことができた。

こちらの人々とコラボレーションを行うにあたり、謝金をどうするか、というのは、一つの大きな問題になっている。イギリスのように、先にギャラの金額なども明確に提示して、仕事を始める、という形ではない。どちらかというと、お金の話をするのは、あまり好まれない傾向もある。大学教授のように、給料のあり収入の安定している人々とは、お金のやりとりよりも、代わりに大学の授業をするなど、のようなお礼の仕方の方が、良さそうな感じがある。変に少額の謝金など払うよりも、一切お金を介さずに、行為を交換する。

しかし、給料収入などがないフリーランスのアーティストになると、事情も違ってくるだろう。こうやって、旅費など経費を負担したり、できるだけ金銭的な面でも、お礼をしたい。しかし、利権や経済に振り回されずに、人間関係などのネットワークを大切に、創作活動を行っているアーティストに、変にビジネスライクにお金の話をすると、せっかく築いた友情と何かうまく噛み合なくもある。だから、お金は、予算だから払うのではなく、気持ちで判断して払えるようにならないと、多分、この国でうまくやっていけない。マニュアルではなく、ケース・バイ・ケースで支払うのだ。規定によりギャラはいくら、なんていうことではなく、予算全体の中のバランスなどでもなく、気持ちで予算を決めていく。難しい。

ウーキルが帰り際「5月24日に、トゥンビでぼくのバンドが演奏するんだ。」と言う。ぼくも「ぼくも、24日に演奏するよ。」と答える。同じ日に、フェスティバルに出演ではないか!笑顔で握手して、ウーキルは去って行く。

夕方、ギギーが我が家を訪ねてくる。「昨日は、レコーディングだったんだ。」というギギー。「何のレコーディング?」と聞くと、「ジャカルタにいる友人のポップスのアレンジしたんだ。」とのこと。2曲アレンジして、1曲はファンク・ミュージックとのこと。トゥンビのホームページに載せるために、ぼくにインタビューをしてくれる。英語とインドネシア語の二カ国語で掲載ということだったので、インタビューは全て英語で答えることにする。これまで2週間、できるだけ英語を使わずにインドネシア語で話してきただけに、英語ばかりで喋るのが、本当に不思議な感じがする。96年作曲のガムラン作品「踊れ!ベートーヴェン」創作過程で、誤解や間違いによる逸脱が起こったことも語った。

続いて、今度は、ぼくがギギーにインタビュー。インタビューして分かったことは、彼はぼくに出会うまで、即興演奏でのコラボレーションをしたことがなかったそうだ。また、それまでは、頭でハーモニーなどのルールを考えて不自由だったし、大学ではシェーンベルグシュトックハウゼンを学び、西洋現代音楽のようにならねばならない、と感じていたのが、ぼくや、薮さん、あいのてさん、砂連尾さん、佐久間さん、吉森くん、マングナン小学校の子ども、そして、様々なコラボレーションを通じて、本当に自由になれた、と言っていた。ファンク・ミュージックのアレンジ、鍵ハモの演奏、伝統音楽の調査、作曲、何でも楽しくやれるようになったけど、以前は、理屈で考え過ぎて、ロックやポップスを楽しめなかった、と言っていた。彼自身の資質が大きいと思うが、ぼくとの出会い(さらには、日本から遊びに来てくれたアーティスト達との出会い)が現在の彼の自由さに、少なからず貢献できているのならば、こんな嬉しいことはない。

あと、インタビューして思ったのだが、彼がインドネシアの伝統音楽にこだわるのは、帰れる場所が欲しい、ということだ。自分の家があるからこそ、どこにでも自由に出かけて行くことができる。この自由の獲得のために、いつでも帰れるホームだけは確保しておきたい。そのために、彼は、必死になって、インドネシアの伝統音楽を調査しているのだ。

お互いのインタビューの後、24日のコンサートに向けてのリハーサル。「どうする?」と聞くと、「日本とインドネシアの伝統音楽が出てくる曲を演奏しないか?」とギギー。ぼくは、田中悠美子さんとのコンサートに向けての映像資料(歌舞伎)をギギーに見せることにした。下座音楽を聴いて、ギギーが鍵ハモで真似ると、もはやそれは、日本の音楽には聞こえない。既にmusik tradisi baruである。誤解による逸脱から、創作が始まっていく。ギギーが、「伝統音楽から始まって、途中は自由に即興になって、また、最後に伝統音楽に戻るのはどう?」と言ってきた。いつでも帰れる家を設定した上で、思う存分自由に、どこにでも出かけて行くことができる。