野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

桜とナルト・サプトと同窓会

朝起きて、昨日やり残した鶴屋南北の作曲の続きを終わらせる。いやぁ、南北さんとのやりとりは、本当に面白かった。これを叩き台にして、日本におられる田中悠美子さんと、個別に練習し、メールでやりとりして修正して、練り上げていく。ひとまず、叩き台ができた。ということで、「トゥンビ文化の家」に行って、ギギー君とリハーサル。

ギギー君とは、インドネシアの「舟歌」と日本の「舟歌」を調べて、それを合体させようという計画があったので、こちらは、インターネットなどで、日本各地の民謡などを探してみたかったりもしたのだが、長旅で疲れている上に、ネットが遅くて、YouTubeなどは、軽いものじゃないと、ダウンロードするのに、時間がかかり過ぎて、なかなか見られない。ということで、こちらは宿題をやらずに行く。そして、トゥンビでネットに接続して、その場で調べようとするが、ここでもネットにつながらず、断念。よって、インドネシアの「舟歌」を教わる。すると、ナルト・サプトの曲をギギーが教えてくれた。しかし、これをそのままやっているだけでは、当初のインドネシアの「舟歌」と日本の「舟歌」を合体させることにならない。で、何でもいいや、と「さくらさくら」をナルト・サプトに合わせて演奏すると、これが音階が近いために、なかなか良く合い相性がいい。「さくら」から一小節遅れて、ナルト・サプトを重ねると、二つのメロディーが見事な重なり具合になる。ぼくは「芸大の対位法の授業で、これを教えたらいい」と言うと、ギギーも笑う。「カリマンタンの樹々の踊り」は、既にカリマンタンの音楽から逸脱し始めている。ギギーが、「途中でユニゾンでやるメロディーがあるといい。何か作れる?」と聞いてきたので、ぼくがメロディーを作る。メロディーをこっちが作ったので、ギギーに、「じゃあ、歌詞考えて」と言うと、「樹々は踊る、ドゥドゥドゥドゥドぅーー、ぼくはただ踊りたいだけ、ラララララーーーー」という歌詞を作ってくれたので、この歌を歌いながら、踊ってみた。樹々の踊りなので、足は地面につけたまま動かさず、それ以外を動かして。

その後、メメットさんの家に打ち合わせに行く。「今日の夕方、来れるか」と連絡があったのだ。メメットさんの家に行き、今後のコラボレーションの進め方を話し合う。メメットさん、スボウォさん、ギギー君、ウェリー君という4人のインドネシア人に、野村夫妻が加わって、6人の作曲家でコラボレートして、一つのコンサートに練り上げる。メメットさん、スボウォさんは、50代で大学の先生で、経験豊富。ギギー君とウェリー君は2年前に大学を卒業したばかりの20代の気鋭の作曲家。また、メメットさん、ギギー君は、西洋音楽バックグラウンドの作曲家で、スボウォさん、ウェリー君は、伝統音楽バックグラウンドの作曲家。この4人ともが、非常に優れた作曲家であり、即興演奏家であり、ジャンルを横断する活動をしている。メメットさんの自宅のスタジオをリハーサルに提供してもらえることになった。

さて、打ち合わせをして帰ろうと思ったが、「良し、行こう」と分からないままに、メメットさんに連れて行かれたのは、メメットさんがかつて学んだ大学ASDRAFI(=Akademi Seni Drama dan Film Indonesia=インドネシア演劇・映画アカデミー)の同窓会。かつてキャンパスだった場所に、30年以上前の友人たちが集い、昔話をする。ただでさえ外国人で、インドネシア語の話に加わるのは、それなりに大変なのに、同窓会に一人部外者だから、話に加わるのは大変。しかし、おっさん達が、かつての学生気分のまま話している場に居るのは、なんとも微笑ましい。そして、宴会芸のような感じで、ブルースギターを弾く人と、鍵ハモでセッションすることに。なんで、ぼくが同窓会に。しかし、インドネシアは、何でもありなのだ。

同窓会の後、メメットさんに「焼きそば食べに行こう」と連れて行かれて、例によって薄暗い中で食べる焼きそばが、なんとも言えず美味しかった。