野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

15年ぶりの同窓会

デヴォンを後にして、電車で約4時間。レスターに来ました。


ぼくは、1994年〜95年にかけて、1年間イギリスに住んでいました。その時、ヨーク大学の大学院をベースに活動していました。ぼくは、キャンパス内のSt Lawrence Courtというところに住んでいて、同じエリアに住んでいた仲間が何人もいました。音楽学部の学部生だったJohn Richardsは、ぼくがヒュー・ナンキヴェルと結成したバンドにも誘って、一緒にハダスフィールドやリーズでライヴをしたり、ぼくの作品「でしでしでし」をヨーク大学や、ヘスリントン教会でも、演奏してもらったりしました。また、大学院でミュージックテクノロジーを学んでいたDylan Menziesは、数学に明るいプログラミングの天才で、しかしながら、ぼくの「でしでしでし」では、エレキギターやサックスで参加して、エネルギッシュな演奏をした人でした。また、大学院生でインド音楽を研究していたSarah Wittakerは、インド音楽だけでなく、様々な音楽に関心があって、よく彼女の部屋を訪ねて、色んな音楽を聴かせてもらったりしたものです。

実は、ヨークを去った後、彼らの連絡先は分からなくなってしまい、音信不通になること14年。もう2度と会えないと思っていたのです。そして、その後、Johnは、Sarahと結婚し、ヨークで博士号を取得し、レスターのDe Montford大学の講師になっていました。また、Dylanもヨークで博士号を取得し、同じくDe Montford大学の講師になっていたのです。そして、Johnは、勅使河原三郎の音楽を担当したり、東京芸大に招待され、パリで足立智美くんと演奏するなど、日本と関係を持つようになりました。そして、昨年、Johnが日本に来る時に、Dylanが、日本に行くならマコトを探してみないか、と捜索依頼があり、昨年11月、新宿で14年ぶりの再会を果たしました。


そして、本日、DylanとSarahと15年ぶりの再会を果たしたわけです。15年とは、長いもので、実際に再会してみると、全然、変わっていない。顔も変わっていなければ、体型も変わっていなくって、さらに言えば、性格も変わっていない。2人の娘の母親であり、図書館の司書をしているSarahが、20代前半の時と同じように、恥ずかしそうな表情で、ためらいながら喋るし、大学講師で大学院生を多く指導し、アメリカでも4年間の研究生活を経験したDylanも、相変わらずのぼそぼそ喋りで、変わってなくてびっくりだ。15年のブランクって何なんだろう?

Johnに、「メロディカ持って来た?うちの娘に演奏して欲しい」と言う。ああ、野村誠=鍵盤ハーモニカというイメージは、15年前に既に確立されていたんだなぁ、と驚く。でも、よくよく考えると、ヒューとジョンとやったコンサートの中で、鍵盤ハーモニカ4〜5人で演奏する、っていうのもやった。ということで、鍵盤ハーモニカのソロを、ホームパーティー・バージョンで演奏。そしたら、刺激されたのか、5歳の娘さんが、ジョンの創作エレクトロ楽器スーダフォンを演奏し始めた。そこで、ぼくは、声の即興。これが、本当にフリーインプロヴィゼーションのセッションになっていて、楽しかったのです。

ということで、15年ぶりの同窓会が開催されました。初対面のゲストもありました。ディランの教え子であり、現在は同大学の講師になったLorenzo Picinaliです。一泊でレスターを去るのは短過ぎると、みんなに言われながら、楽しい夜の宴が行われました。

ジョンのウェブサイト
http://www.jsrichards.com/

ディランのウェブサイト
http://www.zenprobe.com/dylan/