野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

Music, Media and Community Arts



De Montoford大学でのレクチャー(10時〜12時)。普段はJohnがやっている授業「Music, Media, and Community Arts」で2時間のレクチャーをしました。英語でレクチャーすると、言葉が苦手な分、要点しか言わないので、非常に濃度の濃いレクチャーになりました。こんなに濃いレクチャー、日本語でやったことあるかな?ってことは、普段、日本語でレクチャーよる時は、どうも余計な話をし過ぎているのではないか、と反省。ということで、どんなレクチャーをしたか、自分で確認するために、やや詳しめにメモしておきます。


1)鍵盤ハーモニカソロ
2)即興と作曲について、環境とのコラボレーション
3)動物との音楽
4)誰が作曲家か?
5)映像の論理と音楽の論理
6)価値がないと思われているものの中に価値を見出す
7)ペットボトルの実演
8)あいのて「風船」
9)身体と楽器の関係
10)Physical Pianist(白井剛とのコラボレーション)
11)振付の論理、音楽の論理
12)ピアノのワークショップ
13)ヒュー・ナンキヴェルと幼稚園教諭のコラボレーション
14)キーボード・コレオグラフィー・コレクション
15)子どもから学ぶ
16)映像から作品を作る
17)カラオケ→アレンジ
18)老人ホーム・REMIX

アンコール

19) あいのて「ピンポンマリンバ
20)鍵盤ハーモニカソロ
21)質疑応答








1)ジョンのリクエストで、最初に鍵盤ハーモニカのソロの即興。「マコトの鍵盤ハーモニカの演奏から始めれば、学生がみんな目を覚ますだろうから。」というのが、ジョンの提案の根拠。学生が目を覚ましたかどうかは不明だが、ぼくが目を覚まして、レクチャーに臨む気分になれた。

2)即興演奏についての説明。作曲では緻密に構築していくことに興味があるが、即興(特にソロの場合)はその時その場所であることに対応できる。だから、環境にある音、空間の音響、場所の特性などに応じて演奏しようと思っている、と説明。

3)そうした中で、「ペットを連れて来て良いコンサート」をイギリスで開催した旨を説明。通常のコンサートホールは、未就学児お断りで、ましてや、ペットはお断り。なぜならば、予測不能なノイズが発生するのを妨げるため。しかし、もし、出演者が、そうしたノイズを歓迎しているならば、どうなるか?という問い。DVD「Music with Pets」と「Music with Pigs」を上映。

4)タイのマヒドン大学で行ったレクチャーで「Music with horses」という映像作品を見せた時、「この曲の作曲家は誰か?」という問いが起こった。映像の中の鍵盤ハーモニカは、全てぼくの即興で、馬は反応はしているけど音は出していない。あとは、環境音だけ。とすると、全ての楽音は、ぼくが決定しているから、当然、ぼくが作曲家だと思ったが、それを撮影/編集している野村幸弘氏が作曲しているのではないか?という問い。

5)この問いに基づき、「Music with horses」というアコーディオンとピアノの作品を作曲したことの説明。映像のストラクチャーを生かしながら、映像のないコンサートピースを作る。すると、映像の論理で構成された時間感覚で、コンサートピースを構成することができる。

6)鍵盤ハーモニカを演奏する理由は、優れた楽器だから。と同時に、人々が価値を見出していない楽器だから。みんなが素晴らしいと言っているものを素晴らしいと言うのではなく、みんなが価値があるとは思わないものの中に価値を見出すことこそアートなのだ、という考え。

7)そうしたものの別の例として、コカコーラの1.5ℓのペットボトルの紹介。演奏を実演してみる。みんなは楽器屋さんに行って高いお金を払って楽器を買うけど、ぼくは、2ポンドでこの楽器を買う。しかも、楽器に加えてコーラまでついてくる。さらに言えば、飲み終わった空きボトルをもらえば、無料で手に入る。

8)新しい価値を発見する例として、2006年度にNHKで放送していた「あいのて」の紹介。この番組では、毎回、楽器とは思われていない身の回りにあるものを取り上げた。例として、「風船」の回を、15分全部見てもらう。「ワニバレエ」の歌詞を訳しながら見てもらったら、バカ受け。

9)「ワニバレエ」に出てきたダンサー白井剛は、コンテンポラリーダンス振付家であることを説明。また、ぼく自身が、音楽の音そのものに関心があることはもちろんだが、演奏する身体の動きと音の関係に強く関心があることを伝える

10)白井剛と共作の「Physical Pianist」を上映。これは、ピアノを演奏する様々な動きからできている作品。この映像に対する反応は、相当よかった。

11)ここで、再び、「誰が作曲家か?」という問いを立てる。白井剛は、一音たりとも、どの音を演奏するかについての指定はしていないし、動きのみしか指定していないけれど、彼が指定した動きに基づいて、音楽が生まれてきていること。映像の論理と、音楽の論理で、作品の構成の仕方が違ったように、振付の論理で進行する作品は、音楽の論理とは違ったストラクチャーを持つ。

12)「Physical Pianist」以前、ぼくは子どもやアマチュアの人を交えて、数多くの作曲ワークショップをしているにも関わらず、しかも、ぼく自身がピアノを弾くにも関わらず、ピアノのためのワークショップをするいう考えはなかった。ピアノという楽器は、一人で完結しているという先入観があった。大勢で一台のピアノを演奏するということを考えたことがなかった。ところが、この作品以降、ピアノの可能性を振付的な観点から探求しようと思った。

13)ぼくが、一昨日までダーティントンでコラボレーションをしていて、明日からニューカッスルでコラボレーションをするヒュー・ナンキヴェルという作曲家がいる。彼は、子どもとの音楽ワークショップを数多くしており、彼の仕事には、非常に共感している。彼が、ある幼稚園教諭と行った仕事に、子どもが楽器を演奏する様子をビデオで記録し、その映像を、ヒューと教諭で見て、分析するというプロジェクトがある。ここで、面白いのは、教育者は教育者の視点で価値を見出し、音楽家は音楽家の視点で価値を見出す。指摘するポイントが全く違うということだ。これは、教育者と音楽家によるコラボレーションの好例だと思う。

14)では、同じ手法で、教育者と音楽家のコラボレーションではなく、振付家と音楽家のコラボレーションをやってみたら、どうなるだろう?そうした発想から生まれたプロジェクトが「キーボード・コレオグラフィー・コレクション」だ。4、5歳の子どもに自由にピアノを演奏させ、その記録映像を分析して、ピアノの新奏法を開拓する。これまでに、200近くのテクニックを収集。こうした手法をもとに、新たに作品を創作していきたい。

15)こうした子どもは、偶発的に面白いアイディアを出す。そして、他の誰もが価値を見出さないところに価値を見出すことこそ、アーティストの仕事である。だから、単なるデタラメ演奏と思われる中に、芸術を探す仕事をしている。しかし、子ども自身は、そこに強く価値を見出していないし、その部分だけを取り出して演奏する再現性もない。だから、そうしたクリエイティヴなアイディアをベースに、プロの音楽家が演奏する作品を書くことが多い。子どものためのワークショップで出たアイディアに基づいて、オルガン曲を作曲する、など。

16)こうして、映像を分析する時に、突出したユニークな演奏の瞬間に出会い、映像を基に作品を作ることにした。烏山小学校の特別支援学級で子どもたちと行った即興演奏の映像を編集して、曲を作った。4)であった「誰が作曲家か?」という問いに再び、戻ってみる。演奏素材は全て子どもたちの即興で、その中でぼくが価値を見出した部分をピックアップしている。

17)子どもとの即興には再現性がない、と言ったが、こうして、断片を取り出して編集された楽曲の映像をカラオケとして渡したところ、1ヶ月後には、知的障害の子ども達が再現性がある演奏をするようになった。そして、映像の代わりに映像と同じような演奏をした。さらに、映像なしで、その代わり、映像の曲の構造を残して、映像パートをピアノにアレンジして演奏したら、ピアノと子ども達による演奏が実現した。その結果、自由即興は得意だが、楽曲を再現するのは苦手と考えられていた障害児たちと、再現性のある作品を上演できた。

18)この「ベルハモまつり・REMIX」という作品ができた時、似たアプローチを老人ホームで行ったらどうだろう、というアイディアを得た。老人ホームのお年寄りは体力的に弱いので、遠出して、どこかでコンサートを開催するのは難しいし、多くの不特定多数の観客を老人ホームに招くのも、衛生的に良くない。ならば、映像でお年寄りに出演してもらう作品を創造しようと思った。「たどたどピアノ組曲」の一部を紹介。

ここでレクチャーは終了。しかし、11時まで別の授業に出ていたが、11時から見学したいと何人かの学生が来ていた。そこで、そうした学生に是非、「あいのて」を少し見せて欲しい、とのリクエストがあり、

19)「ピンポンマリンバ」の回を一部紹介。

20)そして、最後に是非、もう一度、鍵盤ハーモニカを演奏して欲しい、とリクエストがあり、演奏。途中で、学生達の身体に鍵盤を当てて演奏するなど、2時間前に比べると、距離が近づいている。

21)質問1)なんと、鍵盤ハーモニカを演奏している学生がいて、どんなモデルがあるのか、楽器はどれくらいで使えなくなるのか。
  答)  スズキは、ソプラノ、アルト、バスの3音域の楽器を作っていて、マイク内蔵型の楽器もある。楽器は、吹き込んでいって、リードが使えなくなる場合は、リードを交換するが、本体自体はずっと使える。

  質問2)作曲する時には、どんな音楽スタイルで作曲するのか?
  答)  多様な音楽スタイルを消化した上で自分のスタイルを築いているので、ある既存のスタイルに基づいているわけではない
  John補)非常にリズミックでエネルギッシュで、時に反復を伴う。身体性の強いパフォーマティヴな音楽。


  質問3)作曲した作品の響きというのは、実際に音で聴くまで分からないのか、予測可能なのか?
  答)  完全に記譜された作品だと、響きは想定して書いている。逆に、演奏者が選択することで、演奏する度に違う響きになる作品もあり、そうした作品は音を聴くまでどんな響きになるかは、分からない。


  質問4)子どもやアマチュアの人だけと作品を作るのか?プロの音楽家と音楽を作らないのか?
  答)  プロの音楽家とも仕事をしている。子どもやアマチュアの人々とは、creativityの部分で新しいアイディアを得る作業で関わっている。プロの音楽家は、技術が高いが、逆に言うと、はっきりとした自分の型を持っている。だから、予測不能な意外性の部分で関わるよりも、洗練したり、練り上げる部分、アレンジや演奏の部分で関わることが多い。

 

嬉しかったのは、自分の講義を終えて、途中から来てくれたディランが、「予想していたものより、遥かに面白かった」と喜んでくれたこと。また、多くの学生が一緒にランチを食べに来てくれて、テーブルを囲んで、話し込んだこと。鍵盤ハーモニカで路上演奏をしながら、いたずらっぽいパフォーマンスをしている学部2年生は、事前に、プールで鍵盤ハーモニカを吹いている写真を見て、すごく楽しみにしていたと言っていた。フルートとチェロとピアノでトリオで活動している学部2年生は、今後、学校などで活動するためのインスピレーションを得たと言う。博士課程で中学生の音楽教育でのエレクトロ・アコースティックミュージックの活用を研究している学生は、風船は、電気的に変調しないでも、電気でエフェクトかけてるか、それ以上のエフェクトが得られる。生の音で感じるのが一番なんだ、と目を輝かせていた。他にも、あまり話ができなかったけど、楽器づくりを研究している博士課程の学生など、面白いメンバーが集まっている。また、レスターに遊びに来なくっちゃ。

価値がないと思われていることの中に価値を見出すことこそアートの役割だ。まだ評価されていないものの中にこそ、未来の音楽がある。

作曲とは音を構成することなのか?映像を構成することは作曲になるのか?動きを構成することは作曲になり得るのか?

ノイズや偶発性を排除するか?歓迎するか?即興演奏の最大の利点は、環境に適合できる柔軟性だ