野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ホエールトーン・オペラ第4幕〜危険な領域へ足を踏み出す

イギリスに来て11日目ですが、雨は降りません。それどころか、本当に美しい快晴でした。
そして、「ホエールトーン・オペラ」第4幕のコンサート。
今日も、一日で作品を作って、その日に上演しようというプロジェクトでした。


今日のワークショップの参加者は、音楽の経験の多い学生がほとんどでした。ヒューが導入のウォームアップのリズムのゲームをし、全体で歌を一曲、楽器の曲を一曲、ボディパーカッションの曲を1曲作った後、2グループに分かれて曲を作ってもらいました。昨日までは、グループに分かれて作ってもらう場合は、「ホエールトーン・スケール」を使って作るなど、様々な縛りがありました。ところが、このグループで作る曲には、我々は、そうした縛りをほとんど設けなかったのです。その結果、野村とヒューの影響が非常に少ない作品ができた。たくさんある作品のうち、一つくらいは、こういう場面もあってもいいのですが、一つだけにしようと思いました。そこで、午後に、「ラヴソング」1曲と、「結婚式」の曲を1曲作る時、ヒューが2グループに分かれて作ろう、と言った時、ぼくは、自分でも分からなかったのですが、イエスと言えなかった。違和感を覚えたのです。その時は、なぜ違和感を覚えたのか分からなかったのですが、この10日間で、初めて感じた違和感でした。そして、グループに分かれず、全体で作ろう、と言ったのです。それは、イギリスの音楽ワークショップによく見られるワークショップ・ファシリテーターみたいなことには、ぼくは興味がない。ぼくは、あくまで、本当にクリエイティヴな時間を過ごすために、ここにいる、ということを、再確認する無意識の反応だったと思います。

「Love Song」は、ホエールトーン・スケールに基づき作曲。「結婚式」は、宮田篤の微分帖のアイディアに基づいて作曲。この微分帖で作った作曲は、16ページの16拍のメロディーになりました。そして、その後、これに基づいてハーモニーを作るのが、新しい方法でした。文章で書くとややこしいですが、和音1は、p1, p5, p9, p13に出てきた音から任意に選んだ音、和音2は、p2, p6, p10, p14から任意に選んだ音、和音3は、p3, p7, p11, p15から選んだ音、和音4は、p4, p8, p12, p16から任意に選んだ音で構成したのです。こうして生まれたメロディーとハーモニーは、ほかのどこにもないユニークな音楽になりました。こうした音楽は、ぼくがいたからこそ生まれる音楽であり、ここにいた人達がアイディアを出したから立ち上がった音楽です。ちなみに、ラヴソングでは、《A,C,D,E,F#》という音階が選ばれました。これは、ドリアン旋法からBとGを抜いた5音音階になっています。ホエールトーン・スケールでは、こうもなれるのか、という発見がありました。

違和感を自分なりに理解しようと思ったのか、今日のコンサートの導入には、ぼくは、相当喋りました。喋り始めたら、喋らずには演奏できない気分になりまして、、、。

喋った内容は、

1)ぼくが作曲家で、オーケストラ、ピアノ、室内楽、石、風船、日本の楽器、ガムランなどの多様な音楽の作曲をしていること
2)20年近く前に、ソニーと契約をしていたミュージシャンであって、商業音楽の仕事の仕方に疑問を感じたこと
3)商品としての音楽ではない違う道を探そうと思って、「子どもたちと作曲をする」ことを始めたこと。
4)ヒュー・ナンキヴェルが子どもと作曲する活動に出会い大いに共感したこと。
5)音楽は一部の技術のある人だけのものではなく、全ての人に開かれていること。
6)ヒューや、子どもたちや、ここにいる学生達と、こうやって音楽ができる機会が得られて、非常にラッキーだと思っていること。


そして、以上のことを喋った後に、「ぼくが日本の4つの学校で行った作曲ワークショップをもとに作曲したピアノ曲を演奏します。」と言って、「6つの新しいバガテル」の3曲目「月の光」を演奏しました。ぼくは、このことを、観客に向けても言いたかったのですが、多分、ヒューにも、一緒に演奏している学生やワークショップの参加者にも、そして、ダーティントン・アーツのディレクターや、サウスウエストミュージックスクールのスタッフにも、伝えたかったのだと思います。

そして、第4幕の後半、「結婚式」で、事件は起きました。

実は、この曲、日本で全幕上演した時も、ヒューとぼくで、意見が分かれた曲だったのです。ヒューは作品として曲の構造を変化させていくことで、音楽的に立体的になると主張していたのですが、日本で参加していた30〜40人のワークショップ参加者の多くには、決めごとが多くなると、自由に伸び伸び演奏できなくなるので、ぼくは、決めごとを少なくして、簡単な約束だけにしようと主張しました。ただ、ヒューの言うことはもっともで、40人の人が自由きままにやると、ごちゃごちゃして、音楽が平坦になりやすいのです。そこは、整理して、いろいろ切り替われば、聴きやすくなります。しかし、みんなが伸び伸びとその場を楽しむエネルギーこそが、最後のクライマックスで欲しいと思ったので、ぼくは、自分の主張を強く押し、その代わり、指揮者の指揮で、即興の音楽にメリハリをつけよう、と提案したのです。ヒューは、それに納得してくれて、最終的に、彼が寝転がったり、クレイジーに指揮をすることで、ルールの少ない「結婚式」が成立したわけです。

そして、今日は、ぼくは、そうしたことを主張しなかったのですが、この曲で、曲の構成を間違えた人が出て、曲がバラバラになりました。その瞬間、指揮をしていたぼくは、「やったー!」と喜びました。決めごとから自由になった瞬間であり、安全な道から逸脱した瞬間でした。各自が、即興で「どすこい」と叫んだり、色々なフレーズを重ねたりするシーンは、まさに、日本の全幕上演の演奏を思い出させました。危険なエリアに足を踏み込む瞬間であり、その瞬間に、音楽は俄然エネルギーを増したのです。ぼくは、この瞬間に出会いたくて、イギリスまでやってきたのかもしれません。

そして、最後のシーンになりました。1月生まれの人だけで、2月生まれの人だけで、、、、と、それぞれの月に生まれた人だけが、30秒くらい即興をする場面です。このシーンでも、事件は起きました。今日のワークショップには、第1幕にも参加したJulesという12歳くらいの少年が参加していたのですが、彼の得意の楽器はパーカッションで、第1幕でも、テクノ系のビートを叩いたり、「どすこい」グループで、太鼓を叩いていたりしました。彼は、今日のワークショップの2曲目の創作の時点で、ぼくの鍵盤ハーモニカを借りていいか、と尋ねてきました。その後も、チャンスを見つけては吹きますし、ぼくが鍵盤ハーモニカを使っている時は、ヒューの鍵盤ハーモニカを借りて吹くのです。なんと、本番で、彼のシーンはソロなのですが、よりによって得意のドラムではなく、鍵盤ハーモニカを持って出て行ったのです。一度も人前で演奏したことがない楽器、今日、初めて演奏した楽器。未知のエリアに、危険なエリアに足を踏み込んだのです。しかも、ただ立ち止まって吹くだけではありません。動きながら吹いて、踊りながら吹いて、途中で寝転びながら吹いたりもしたのです。ドラムンベースやテクノのリズムに固執して、そうしたリズムを叩き続けていた彼が、とんでもない一歩を踏み出した瞬間でした。

そして、最後に、パーカッションのAlanと、ぼくが即興する場面がきました。リハーサルの時は、ぼくは、彼の演奏に合わせてピアノを弾き、美しくエンディングを結べるように演奏しました。しかし、本番では、ぼくは、彼を危険なエリアに連れて行こうと思い、手加減なしのフリーインプロヴィゼーションを楽しみました。これが、ぼくらの意志です。「ホエールトーン・オペラ」は、定型にまとめていく活動ではない。一歩一歩は、決して大きくないけれども、クリエイティヴ一歩を踏み出していく旅です。

そうした冒険で、最終日の最後の2曲が結べて良かった。


コンサートが終わった後、Julesは、ヒューにイギリスで鍵盤ハーモニカが買えるかを、尋ねていました。野村誠の精神が、こうやってイギリスに残っていきます。南西部での10日間が終わりました。