野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

現場音楽、現場演劇

中日新聞の取材。3月6日の朝刊に載る記事で、東京新聞の3月6日の夕刊に載るらしい。ついつい調子にのって、3時間も喋っちゃった。
で、記者の関口さんの面白かったことは、作曲家という肩書きの範囲以外のこともやっているという。確かに、P−ブロッで平石さんの曲を演奏しているのは、作曲家の仕事とは呼ばないし、i-picnicの即興とか、ピアノの即興のライブとかは、作曲ではないか。で、それを何と呼びますか?と質問された。

で、今日の会話では、ぼくは、様々な音楽を作っているという意味で、「作音楽家」。様々な現場で音楽を創造しているという意味で「現場音楽家」という言葉が生まれた。「現代音楽」ではなく「現場音楽」。なるほど。

で、夜は、柏木陽さんが9週間、毎週月曜日に続けているエンゲキニチニチの公演に行った。ゲストは即興からめーる団、片岡祐介。カフェ空間で至近距離で行われる短いお芝居たち。即興からめーる団のパフォーマンスは、5つくらい短い演目があって、それが、全部、違う方向性を向いていて、この人たちは、一体どっちに向かいたいのかさっぱり判らないが、面白い。エンゲキニチニチは、8つくらい短い演目があって、その8つは似た方向を向いているので、安心して見れるし笑える。この安心グループと、不安心グループがセッションすると、ちょっとどういうことか、と思うが、今回は、あんまり交わらなかったので、いずれ交わってみたらいいと思った。安心と不安心は、どういうバランスで何を生み出すのだろう?片岡さんは、パーカッションをやりながら、「演劇の音楽って何だろう?」って疑問を語っていた。演劇の音楽、演劇と音楽、音楽の演劇、そのことについては、近々、晶文社のホームページに書いている連載コラムにも書きますが、3月24日に、柏木陽+野村誠で対談もやります。

で、現場音楽で、そうそう、柏木くんは現場演劇家だ。様々な現場で演劇を立ち上げる。

で、ぼくのことです。その現場に来なかった人、いなかった人を、ターゲットにしているかどうか、なんですが。ぼくは、その現場にいなかった人をターゲットにしているアーティストだと思います。例えば、路上演奏をしている時、その場にいなかった人には、その出来事は体験できないのですが、ぼくは、「路上日記」という本を書いていて、その路上演奏を体験しなかった人に、そのことを別な形で体験させることをしています。というか、路上演奏をしている時点で、本にすることを前提で、路上演奏をしていたのです。また、コンサートに来なかった人にも、ぼくの音楽が間接的に伝わると思っています。それは、誰かが話題に出したり、ブログで書いたりして、実際の音を聴かないのに、その音楽を頭の中で想像する、という聞き方もあるから。

だから、現場音楽は、現場にいない人にも、伝わっていく音楽だと思っています。

例えば、ぼくは、平田オリザさんの演劇というのを、見たことがないのですが、「静かな演劇」とか、いろんな人が語る言葉で、間接的に彼の演劇を、ぼくの頭の中で想像しているのです。ぼくの頭の中では、平田さんの演劇とは全然違う演劇が、既に形づくられていて、それを頭の中で思い描いていることが楽しいので、もうしばらくは、平田作品を見ないと思います。でも、別なやり方で、ぼくは平田作品を鑑賞している。

で、柏木演劇は、現場にいかないと、ほとんど手がかりがないので、ぼくは現場に足を運ぶのですが、今、日記を書きながら思い出して見ると、もっと、ワークショップみたいな公演でもいいのかなぁ、と思えてきました。ワークショップの時は、多分、そこで起こった何かを拾ったり、ちょっといじったり、柏木くんはいろんなことをします。公演なのに、そういうことがあって、演者に影響を与えたり、やり直したり、その場で作り変えたり、そういうことがライブに起こるようなことも、見てみたいな、と思ったりしました。3月24日は、いろいろやってみたいな、と思えてきました。楽しみ。みなさん、来てね。池袋のModelTです。