野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

向井山朋子の夏の旅

ザコのリハーサルを早めにあがらせてもらい、向井山朋子のコンサートに行きました。シューベルトの音楽と町の音をコラージュした音楽です。

町の音とクラシックの曲がコラージュされると言えば、ぼくの「路上日記」(ペヨトル工房)というCDブックで、ぼく自身は90年代後半にやったことがあります。ベートーヴェンの「熱情」の2楽章と山手線の電車の音や鼻歌を歌うおじさんの声、券売機の音、自動車などの都市のノイズなどが融合していきます。で、19世紀のクラシックが、20世紀の日本の街頭のサウンドスケープと、こんな風に出会うのか、という実験を色々しました。そして、コンサートホールという閉じた空間ではなく、舞台と観客の関係が、時にひっくり返る場の実験として、路上演奏とそのドキュメントということを行っていました。通行人は観客で、ぼくは演奏者という構図と通行人は思っているのですが、ぼくが日記を書き、録音してドキュメントして作品化することで、通行人は観客でありながら、出演者になってしまう、という構図に変換していたわけです。

だから、今回のコンサートが掲げているテーマを、ぼくは一度、通過したことがあって、その意味では、少し懐かしく、過去の自分の仕事を思い出したりもしました。

10年前、ぼくが向井山朋子のピアノに出会ったころ、彼女のピアノは、クラシック音楽の伝統に抗う叫びのような印象がありました。抗う叫び声は力強い。でも、クラシック音楽を学んだピアノ技術による叫びは、時には納まりが良すぎるようにも聴こえた、そんなことも少し思い出されました。

で、今日の演奏は、違いました。伝統に抗うのではなく、伝統と向き合い、対峙している音楽です。自分のルーツや伝統に目を背けるのではなく、そこを見つめながら、現在を生きている。ライブと言いますが、彼女のピアノは、その時間を偽りなく生きているのです。その場に立ち会えて良かった。彼女に、改めて、敬意を表します。

彼女は、クラシック音楽とか、ピアノとか、コンサートという形式などと対峙しています。ぼくにとっては、クラシック音楽は、たくさんある民族音楽の一つでしかないし、ピアノというのもたくさんある楽器の一つで、コンサートというのもたくさんある表現形式の一つでしかありません。しかし、彼女がそうしたものに対峙しているように、ぼくはぼくの問題に対峙していきたい、その勇気をもらえるコンサートでした。ありがとう。