野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

国立淡路青年の家2日目

淡路青年の家での2日目。今日は、すごくいっぱいのプログラムがありました。

9:00〜9:15は、佐賀で演劇をやっているファミリーシアターの報告です。演劇ワークショップに参加したいけど、介護してくれる人の送り迎えなどがないと、なかなか家から出られないから、参加したいけど参加できない人がたくさんいる。そこで、逆転の発想で、それぞれの家庭を訪問して、リビングルームで即興演劇しちゃおうという発想。15分の発表時間なので、各家庭を訪問する時は、まずアイスブレイキングとして、二人羽織や彫刻などをする、と一言で流して説明してくれた。たまたま、今日のトップバッターだし、アイスブレイキングとして、どれかを紹介してもらおうとなり、彫刻をやって、少し朝の空気もほぐれた。3人の彫刻にジョンがタイトルをつけてくれた。9:15までの予定が9:45。予定通りの遅れ。

続いて、静岡の湖西でフラメンコに取り組む知的障害児の親のグループの発表。映像を見ると、フラメンコなのに、まるで阿波踊りのように見える。「トーマッサイ・トーマッサイ・トーマイ・トーマイ・ト」というリズムをやってみた。9:00スタートで15分ずつの発表を二つやってもらったら、10:25になった。55分押し。でも、それも想定内。最初から、スケジュールにゆとりを持たせてあるから、休憩時間もいっぱいとってあるし、大丈夫。

ここで、休憩にしなかったのに、参加者の多くがお茶を飲みに席を立ったので、必然的に5分休憩。続いて、演劇百貨店が養護学校でやったプロジェクトの報告。学校と関わることの難しさなどについて、制作者の立場から。ぼくはこの本番の公演を見に行ったのだが、本番とは全然別の空気がワークショップでは流れていて、これを生かして本番ができたら良かっただろうになぁ、と思った。柏木さん扮するヘルロボットマンは子どもたちに大ウケだし、野球のシーンを楽器でパフォーマンスしたり。学校について、いろいろ議論。

その後、神戸の音遊びの会の12月3日・4日のコンサートの録音の抜粋を聴く。電気を消して、真っ暗の中、音だけで聴いてみた。感想がいろいろあった。幻想的でイメージが膨らんだ人もいれば、メロディーや決め事がなくて聴いていてつまらないと感じた人もいた。同じものを聴いても、これだけ違う反応をする人がいる。

10:35に再会して、15分の報告と20分の音楽鑑賞が終わったら、12:00になった。昼食の時間だけど、昼食休憩に1時間半とってあるし、まだ続けよう。

大阪のほうき星プロジェクトのパフォーマンス。詩の朗読に涙を流して感動した人も出た。なかなか言葉にならずに、言葉になる瞬間。「ききききききききききききききき君にありがとう」。12:45から昼食休憩。たったの45分押しで午前中終了。もう、まる一日分くらいの内容があったような気分。

午後は、まず、to R mansionによるマイムのワークショップ。鏡になるワークショップの後、みんなで角砂糖が水に溶ける様子を観察し、それをカラダで表現してみた。角砂糖が溶ける様子をみんなで観察することじたいが面白かったし、それを30人ずつでやってみたのだけど、人数が多くてそれだけでも、面白かった。せっかく30分の予定を35分で終わってくれたのに、ぼくが、「マイムの言葉のない静かな動きと、さっきの朗読の言葉の世界を掛け合わせたコラボを見てみたい」と提案して、ほうき星+to R mansionのコラボをやってもらった。ところが、ほうき星の西村さんが戸惑い、恥ずかしがって、なかなか声を出してくれない。その恥ずかしがっている様が色っぽくって、余計にそこに注意が集中する。声が出るまで待ち続け、このコラボは30分近く続いた。

奈良のアクターズスクールくらっぷのワークショップは、実際に昨年カフカの「掟の門」をどうやって上演したかを見せてもらった。台本はない。そこを通させないようにする門番と通りたい人との即興のやりとり。これは、実際にやって見せてもらったら、一目瞭然。そして、役割を交代してやってみた。くらっぷの森永さんがやると全然通してくれなかった門番が、チャレンジステージの小松原さんになったら、あっさり通してくれて、どうして通したのの問いに、「優しいから」の返答。

そして、マイノリマジョリテトラベルによるディスカッション。さすがに60人で円陣になって話すのは難しい。障害のある人という表現に対する違和感から始まって、障害があるのは社会だ、という大前提のもとに、人が作ってしまう境界線について話をした。障害者と健常者、同性愛者と異性愛者、・・・、人は色々な境界を勝手に作って線を引く。そして、多数派は少数派がいないかのように振舞う。

この境界線について、美術家の島袋道浩は、彼の最初期の作品「タコとハトの出会い」(1993)で「もし重力がなくなれば、タコとハトは公平に出会うだろう」というコンセプトを掲げて、空に暮らすハトと海に暮らすタコを本当に出会わせようとした。「重力がなくなれば」、「公平に」、この二つの言葉の重みをどれだけの人が、きちんと受け止めたか。ぼくは様々な境界線を意識した仕事をしていたからこそ、島袋の作品に共感することができた。公園にタコを連れてきて、餌でハトを誘き寄せるけど、ハトとタコを出会わせることができなかった、このパフォーマンスの意味を人々はどう理解したのだろう?この作品を重宝する人がもっともっといて欲しい。マイノリマジョリテトラベルの「東京境界線紀行」とも共通する点。当たり前すぎることだけど、問題提議の時間になったようだ。

そして、ジョン・パルマーの公演。彼は知的障害のある俳優がプロとして活動できるには、という大きな目標を掲げて活動してきた。そこには、大きな葛藤があり、その葛藤を参加者の人たちと共有。

18:00終了予定が、18:50終了。たったの50分押しでした。これも、まあ予定通り。

夜は立食形式のパーティー。酔っ払いもいっぱい。交流もいっぱい。大成功の一日でした。