野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

夜回り先生

テレビで「夜回り先生」という名で知られる水谷先生というシンナーやドラッグ中毒の子どもに関わる専門家のドキュメント番組をやっていた。今回は、この先生の特集の第2弾、リストカットの子どもへの取り組みにフォーカスをあてたものだった。

まず、一番驚いたことは、この人が講演会をしている映像が、番組でやたらにいっぱい使われていること。普通、公演の様子を映すとしても、あまり番組には使えないことが多いと思うのだが、この人の公演のシーンは、ほとんどノーカットで使われていた(ごくたまに、観客の表情を挿入したときもあるが)。

この人の公演には、いくつか特徴がある。まず、落語に似ている。上手、下手と向きを変えながら、役柄を演じ分ける。あと、テンポが非常に速いので、テレビ的にカットする必要が生じない。使う言葉がほとんど断定口調で、表現に曖昧さが一切ない。

ぼくは、この水谷先生という人を高く評価するし、素晴らしい人だと思う。そして、複雑にな思いが込み上げる体験談を、ここまで枝葉をそぎ落とし、簡略化して伝えている講演会だ、ということを改めて思った。普通は、自分が体験した真実を、ここまで単純にして言葉にしたくはない。死んでしまった子どもにしろ、その親にしろ、様々な困難を克服して環境が改善した子どもにしろ、自分の体験や気持ちを言葉にしようとしても、しようとしても、言葉にならない。言葉にならない限り、その体験自体がなかったことにされる。そこに、つなぎ手としての役割を強く意識した水谷先生という人が、ものすごく単純にして語る。きっと彼は、そんなに単純には言えないことを知っているが、単純な言葉で言わなければ、こうした体験自体が存在しなかったことになる。曖昧な表現は、なかったことになることを知っているから、誤解を恐れずに、単純な言葉で語る。その結果、抜け落ちている本質的な何かもあるかもしれない。しかし、それを気にしていては、何も伝えられない。

「アートマネジメント」、アートと社会をつなぐ、なんてことがある。実は、ぼくはアートは社会の中にある、生活の中にあるから、つなぐなんておかしい、と振る舞ってきた人間だ。でも、アートと社会をつなぐ、という人の言いたいことは察しがつく。ここで言う社会は、ぼくが考えている「社会」という言葉より狭く、実はぼくなんかは、最初から狭義の「社会」(=マジョリティ)の外、非常に特殊な少数派として位置づけられているってこと。ごくごく少数の非常に特殊な関心を持っているアーティストの声を、そのことに何の関心も示さない大多数の人とつなぐ仕事が、今現在の日本でアートマネジメントに求められていることだと思う。

アートマネージャーは、水谷先生のように、単純で(思い込み+愛情たっぷりの)力のある言葉で、アーティストの言語を通訳すればいい、と思った。

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