野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

浸透膜のような越境〜コラボレートと異文化理解について

インドネシア語の勉強のために、辞書を片手に、中川真の「Musik dan Kosmos:Sebuah Pengantar Etnomusikologi」を読んでいます。中川真さんの本は、日本語では何冊も読んでいるのですが、これだけ遅いスピードで読むと、一文ずつの意味を、その都度、考えるので、じっくり考える機会になるのが、不思議です。日本語だったら、もう1冊読み終わってしまうような時間で、やっと1チャプターを読むような感じです。情報過多な時代に、これだけゆっくりと一文ずつを味わうのは、贅沢な体験だと思います。

冒頭部分を読んで、ぼくが理解したことは、

民族音楽を研究する上で、社会や文化的な背景から切り離して、メロディーやリズム、音階などに分解して、分析してしまうのではなく、社会/文化の中から音楽を見ていくこと。これは、中川氏の民族音楽学者としての重要な立ち位置なのだろう

ということです。

1)他の音楽を、自国の価値観のみで、判断/理解しようとすることの危険性
2)他の音楽を、その文化的な背景、社会的な背景を含めて、理解すること

その音楽を、その音楽が生まれてくる社会、生活、それらを全部引っ括めた全体として、皮膚感覚で理解することなくては、本当の意味で、その音楽を理解したことにはならない。体験したことにならない。ということ。

それで、民族音楽学の研究として、1)→2)という流れがあることは、よく分かります。特に他国の音楽文化を理解する上で、非常に良い態度だと思います。その上で、ぼく自身のことを考える上で、「越境」とか「コラボレート」について、考えてみます。

地理的/社会的な条件によって、隔絶されている2者の間では、音楽的なギャップが存在します。そのギャップを、1)の立場で相互に理解しようとするのか、2)の立場で相互に理解しようとするか、と考えた時に、ぼくは、ふと思うのです。

例えば、ぼくがインドネシアに暮らす中で、ぼくがインドネシアの音楽・文化を理解していく過程において、インドネシア人の音楽観もぼくに影響を受けて変化していく。当然、相互作用が起こります。そこで、ぼくには二つの問いが出てきます。

Q1 異なる文化をバックグラウンドに持つ人が出会い、お互いの音楽を表面上ではなく、生活や文化を含めて理解できる状況とは何か?

Q2そんな中で、どのような衝突や相互作用が起こり、それが創造につながっていくのか?

ぼくは、このことに興味があります。「子どもはスゴイ」と言ったり、「子どもの純粋な音楽表現こそが芸術だ」、と言うつもりはありません。それを研究したいとも、思っていません。そうではなく、子どもの表現に最大限の敬意を払いつつ、しかし、同時に自分自身の表現にも敬意を払いつつ、(例えば)幼稚園児と作曲家で出会った時の違和感やずれから、何が生まれてくるか、そのことにこそ興味があります。

94年〜95年に、イギリスに住んだ時、80回以上、小中学校の音楽室に通い続け、日常の音楽室で子どもたちが作曲する様子を、観察し続けました。ある意味、2)の立場だったわけです。しかし、ぼくがいることは、影響するのです。子どもや先生から、マコトの作曲した曲を演奏したい、と申し出があったり、一緒にコンサートをやったりして、ぼくも変化するけれど、子どもや先生も変化していくのです。

大人と子どもとか、プロとアマとか、障害者と健常者とか、西洋と東洋とか、二極論に回収しないで、コラボレート、相互作用を、見届けること。越境というのは、境界線があって、日本人がジャワ人のようになることではない、と思うのです。境界線は、半透膜のように行き来ができて、日本人がジャワが浸透してくると同時に、ジャワ人に日本が浸透して行き、それが、じわーっと染みていくのです。時間をかけて、じっくりと。

その時間をかけて、じっくりと染み込み合うプロセス。そのことを、意識してコーディネートすること。ドキュメントすること。サポートすること。それが、今一番、不足していて、一番必要なことだと、ぼくは思うのです。