野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

十和田十景 no.1-no.5

十和田市現代美術館の10周年企画の「アートなたび」、野村誠のまちのピアノを巡るツアーの1日目。本当に、不思議な、なんとも形容のし難い体験だった。そして、確かに旅をした。

 

最初は、美術館のレセプションでスタート。床一面に設置されているジム・ランビーの作品の上で、鍵盤ハーモニカを奏でるのが、プレリュード。窓から差し込む春の光が反射し、天井や壁面に映る影も美しい。

 

十和田市現代美術館「アートなたび」と書かれたバスに乗り込み移動。10名ほどのメンバー。三重県新潟県から来場の方もいれば、十和田の地元の人もいる。

 

続いて、カトリック幼稚園に到着し、園児90名が待ち構えている。マイクを渡されて、「マイクいる?」とぼくが言ったところから、「マイクって名前の人いる?」となって、「太郎いる?」、「さやかいる?」などと展開し、子どもたちと楽しい会話。「ぼくの名前は?」と聞くと、「ももたろう!」とこどもたち。そこで、「ぼくの名前は、ノムラももたろうマコトです。」と言って、こうした会話をもとにした曲を演奏。猛スピードでピアノを演奏すると、それが嬉しいみたいだった。最後は、子どもたちに歌を歌ってもらい、帰ろうとするが、「もういっかいやって!」と子どもたち。「それは、アンコールって言うんだよ」と教えると、「アンコール」で、それが、「あんこ」の曲になり、「わんこ」の曲になったのは、こどもたちのアイディア。大盛り上がりの子どもたちとの時間が終わり、カトリック教会へ移動。

 

一気に厳粛な雰囲気。ここで、祈りの音楽を電子オルガン(エレクトーン)で即興で弾く。まったく世界が変わる。最後に、神父さまから聖書の言葉。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私からの唯一の命令です。」そして、神父さまからのリクエストで賛美歌を一曲演奏。

 

続いて、ピアノ教室に到着。ピアノ教室の先生の娘さんが出産されたばかりで、その子への子守唄をリクエストされる。子守唄のつもりで演奏を始めるが、ピアノがすねる。今日の主役はピアノではなかったのか、と。確かにそうだ。このピアノは、ピアノ教室のピアノとして、レッスンの場でずっと演奏されてきたピアノだが、お客さんを集めて演奏される機会は初めてかもしれない。ピアノにとって、晴れ舞台だったのに、主役を出産したばかりの赤ちゃんにもっていかないでほしい。ピアノの声を感じたぼくは、ピアノから様々な音を引き出す。このピアノを弾いてきた様々な生徒さんたちの記憶が走馬灯のようにグルグルと巡って、最後に、子守唄になって終わった。

 

最後は、南部裂織保存会の方のお宅。このピアノは20年以上調律されていないと言う。20年調律していないピアノを弾かせてくださることに感謝。調律されていないピアノが狂っているように聞こえるハーモニーで弾くのではなく、このピアノが最も美しく響く音楽はなんだろうと探っていくと、気がつくと、ぼくは左手だけで弾いていた。だから、左手で弾き、右手で絵を描き始めた。右手で絵を描き、左手で音楽を演奏する、というのは、生まれて初めての体験。20年調律されていないピアノをボロだと見なさずに、その魅力に向き合うことは、古着を組み合わせて織物をする南部裂織りの精神と似ている。だから、ピアノと南部裂織りが、ぼくの中では結びついた、というお話をさせていただく。保存会の方は涙を流しながら、保存会を始めた亡き妹さんに伝えたいと語ってくださる。

 

ということで、2時間強のツアーは、美術館で解散。テレビ2局、新聞4社の取材が同行し、終わった後も取材がつづく。明日、地元の新聞やニュースなどで報道される予定。少人数のプログラムだが、十和田の魅力ある人々や場所を、こうして紹介できる企画ができて嬉しいし、それが、またメディアで報道されたり、記録映像になったりして、今後、多くの人々にじわじわと伝わっていくことにも、可能性を感じる。そして、作曲家としては、今日の体験をピアノ曲集「十和田十景」としてまとめることが、大切なポスト「アートなたび」になると思う。

 

夜、カトリック教会からの提案で、特別に1時間限定の「教会で音楽会」を開催。今日は、お客さんに聞かせるための音楽ではなく、ぼく自身が祈る音楽をやらせていただくことにした。そのことをお客さんに伝える。「ぼくは、神様との交信、祈りの音楽をするので、今日はお客さんに向けては演奏しません。皆さんは、放っておかれます。ですから、音楽を聴くことに専念するのでなく、ご自身で祈ったり、自分自身を見つける時間としてお過ごしください。」と伝える。神と一体化できるような即興演奏ができる、なんてことはなく、信仰心の乏しい作曲家が、付け焼き刃で祈りの音楽を演奏しようと、神様がサポートしてくれたりはしない。そんなことに演奏しながら気づく。神様とコラボしようと思っても、神様は相手をしてくれない。いろいろ探るが、神様と通じ合ったと感じられる瞬間は訪れない。そうした祈りの音楽を続ける。そして、自分自身の邪念を消し、真っ白になって、神の声を聞こうとしても、やはり神の声は聞こえてこない。演奏の最後に、「かみさま」と叫び、歌いながら、神様への思いを声で語りかけ、即興演奏は終わっていった。祈りとは、自分自身に向き合うこと。神様の力を安易に借りようとしてはいけないが、神様は見守ってくれている。そんな気づきをもって、コンサートを終える。昼間の幼稚園児に、「ももたろう、バイバイ」と言われて、静かに1時間祈りの場を共有してくれていたことに気づく。彼は、夜のは「ゲイジュツ的だ」と言って、帰っていった。

 

その後、1454で人々が集っているスペシャルナイトに顔を出す。十和田に熱い人々がいっぱいいる。明日も熱いツアーが続く。