野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

京都に戻る

戸隠でそばを食べたりしてから、京都に戻る。車の中では、運転手が眠くならないように、本を朗読したり、音楽を流したり。フィルムアート社の「アートという戦場」をぺらぺらめくって朗読。ニコラス・ペーリー&ジャニス・ジプソン(三宅俊久訳)の「踏み止まる教師は誰もいないーアメリカからの報告」の冒頭部分、「アメリカの教育の現在」で、2002年にブッシュ大統領の署名により法制化された「一人の落ちこぼれもない教育」(NCLB)が、相当酷い政策であることが、想像された。その一つの特徴は、理科、数学、国語の学力テストの成績によって、学校の資金や教師の給料を算定していこう、というものらしい。
「性を深めるSMアーティスト」(Midori:樅山智子訳)の「社会的な不安を煽り、不快な感情をもたらします。しかし、そういった不快な感情こそが心理・生理学的な興奮を呼び起こすのです。」という部分は、ぼくの原稿で書いた「困難を顕在化させる」ことと共通する、と思った。ワークショップで、困難な状況を取り除いてしまうのではなく、その困難に直面することが、一番創造的な瞬間だと、ぼくは思っている。先日の8月7日のシンポジウムで観客の一人から、
「私は不快に感じました。しかし、もう少し、この続きを見たいと思ったので立ち去らなかった。それは観客が選択すればいい。それと、不快というのは、悪い意味で言ってるのでなく、私は不快であることを楽しんだ。」
という意味の発言があった。このことを思い出した。
「出来事を見るヴィデオ・アクティヴィスト」(佐藤博昭)で、「ドキュメンタリー映画特集『核への挑戦』」というイベントをコーディネートした時の体験談が印象深かった。上映後の質問は、「劣化ウラン弾の・・・」など撮影対象の問題に終始し、決して映像そのものが話題にならなかったとのこと。さらに印象深いエピソードは、「今日上映した作品を10分くらいの長さにして借りることはできないか?」という問い合わせが来た、ということ。
実は、ぼくは8月6日の「さあトーマス」を機に、原爆をテーマにした作品を作ろう、という気持ちが少しずつ出てきている。お年寄りとの共同作曲でやった似顔曲や、「DVのなくなる日のためのインテルメッツォ」を作曲した時の経験とは、また違ったアプローチになるかもしれないけど、まず、この秋か冬に広島に行ってみるかも。まだまだ漠然。もっともっと身近なところから手をつけた方がいいかも。
戻ったら、もう夜だった。京都は長野と違って、異様に暑かった。でも、リフレッシュしてモノを作りたい気分にはなってきてる。