野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

原爆記念日のエイブルアート

エイブルアート・オンステージ2005も、あと二日。
広島に原爆が投下されて60年たった今日。
かなり驚くべき体験があった。
近日中に詳しく書きます。

全公演終了後、交流会。これまた、とんでもない盛り上がりだったが、ここで、実は翌日のシンポジウムへの伏線があった。

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広島に原子爆弾が投下されて、ちょうど60年。しかし、フェスティバルで忙しかったぼくは、黙とうすることもなく、慌ただしく時間を過ごした。

いよいよ本番。

奈良の「たんぽぽの家」のメンバーと大阪の「マルガサリ」のメンバーで行われるガムランシアター「さあトーマス」。楽屋で様子を見ていたら、既にロビーでパフォーマンスが始まっていると聞く。様子を見にロビーに行くと、中川真さんがクンダン(たいこ)を叩いていて、佐久間新くんが踊っていた。でも、そのパフォーマンスが控え目で遠慮がちなので、お客さんは距離の取り方が分からずに、避けるように場内に入って行く。こんな始まり。

開演直前の中村真由美さんとYumさんのダンスの共演がすごく良かった。どちらがダンサーでどちらが障害者か、判別不能だ。

開演後、トーマスこと中西くんは観客にインタビューをした。ところが、インタビューに声をかけたのは、中西くんの知り合い。身内に声をかけると、余計に観客との距離が開いていかないか、少し心配になった。

冒頭のリプトンハウスの歌の後は、即興。やっていて感じたのは、出演者が即興を楽しむというより、今までの練習をなぞろうとしている空気。それを避けるために、どうしたらいいか?舞台の上で、中村真由美さんが楽器を演奏している。すごくいい音。ぼくは、すぐその横に行って同じくらいのテンションで演奏した。ペロッグとスレンドロという違った音階の楽器で演奏しているために、音の混ざり具合がいい。そこから、音楽が膨らんでいって欲しいと思ったが、佐久間君が踊りながら、ぼくの楽器を覆い隠した。音を止める合図が出たようだ。本当は、このまま演奏し続けたかった瞬間だったので、残念だった。

その後も即興は続く。しかし、わざとらしい予定調和な感じがして、今この場で一番ライブなものは何だろう?と考えた。そして、ぼくは客席でつまらなさそうな表情をしているお客さんを見つけた。この人に関わることが最も即興だ。ぼくは質問した。すると、「いつ始まったんだか、分からない。何が表現したいのか、分からない」と言ってくれた。ぼくはステージにあがり、全員にそのことを告げた。一体、この作品は何を表現しているのか?それが分からない、と質問すると、トーマスは言った。
「トーマスはトーマスです」
「リプトンさんはリプトンさんです」
何とシンプルな答えだろう?自分は自分でしかない。自分が自分でいることを妨げる社会の色んな仕組みがあるが、自分は自分だ。舞台の上で、自分が自分であることは難しいが、でも、自分は自分。

この瞬間に立ち会えたのは、即興の良さだ。

この続きは、また、近日中に書き足します。

(8月12日記)


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この舞台は、この後、全く予期せぬ方向に進んでいく。後から思い起すに、原爆投下から60年というのが、ぼくらの無意識に刻まれていたのかもしれない。

当日、マルガサリのメンバーが買い出しに行って、思わず買った物の中に、日の丸のはちまきがあったらしい。リハーサルでも一度も登場のしたことのない、このはちまきを巻いて、河原さんと萩原さんが登場した。どこかで使おうと思って購入したのだろうけど、ここで出てくるとは、即興の魔力。
カミカゼ特攻隊」
という言葉が、出た時、ぼくはドキっとした。それは、60年前の戦争で、自らの命を捨てて、半分の燃料で突撃していった人たちのことを思い起すし、その犠牲になった戦没者のことを思い起すし、現在の自爆テロのことも連想させられる言葉だからだ。ところが、舞台上でこの言葉を発した時は、多分、単なる格闘技の1シーンのような即興芝居のようだった。
「この舞台は何を表現したいのか?」という問いの直後に、「戦争」という大きなテーマが出現してしまった!どうやって、おとしまえをつければいいんだ?
「自分は自分である」というトーマスの主張の直後に、個を尊重せずに駒のように扱う「戦争」が出てきた!
「自分が自分であるための戦い」。ぼくたちは、芸術という武器を持って、制度と戦ってきた。ぼくの戦いは、「戦い」を消していく戦いだ。気がつかないうちに、資本主義の競争原理を無効にするような別な次元のネットワークを作り上げていく戦略だ。
などと、考えたりする余裕なし。突然、出てきたジョーカー「カミカゼ特攻隊」。8月6日の無意識の意識が意識化された瞬間。即興が大好きで、柔軟さにかけては人一倍の自信のあるぼくが、凍り付いた。どうしていいか、分からない。そういう意味で、この舞台を経験できたことは特別な体験だ。

しかし、フェスティバルのディレクターとして、舞台に立った1アーティストとして、この内容にどう責任を負うのか?それを頭で考えている時間はない。ぼくは気がついたら、客席の中に飛び込んでいた。観客の膝の上に飛び乗り、お客さんに「I love you」と言って抱きつき、叫び踊り狂った。そのまま、舞台の上に乗って、本気で演奏するように、演奏者全員を煽動した。特攻隊の決死の覚悟に匹敵する覚悟を持って、舞台に立つ。それが、即興の舞台に立つものの責任だ、と思った。

しかし、後で思い返しても、なぜ、こんなことが起こったのか、戦没者の霊に導かれたとしか、思えない。この舞台、フェスティバルを通して、広島の原爆のこと、戦争のことを、もっともっと見つめ直して欲しい、という戦没者からのメッセージを感じた。

「さあトーマス」は、そんな中、突然リプトンさんの「これで終わります」という言葉で幕を閉じた。これも、今まで一度もなかった展開だった。なぜ、彼女は、突然「終わります」と言ったのだろう?休憩時間に、トーマスとリプトンさんは、何ごともなかったかのように、サイン会を続けた。

この続きは、また、近日中に書きます。

(8月13日記)


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自分では忘れていましたが、ぼくは「どうして原爆なんて落としたんだ〜」と叫んでいたそうです。全く記憶から飛んでいました。

さて、「さあトーマス」の後は、浜松の「虹のプロペラ」でした。毎回違った内容になる「デタラメ授業」が、本番も飛ばしまくりで、本当に面白かった。知的障害の人が先生役をやる、という設定でアドリブというのが、クレバーだと思います。と同時に、この枠組みで、知的障害の子どもたちの世界や、彼らの見ている学校像や社会像を浮き彫りにすることもできる。色々、考えさせられます。しかも、とにかく見ていて笑える、楽しめる、というのが最高です。何度見ても、違った味わいがあり、やればやるほど面白くなります。今回のコラボ・シアター・フェスティバルで見つけた、一つの可能性を示しているように思う。明確な設定があるなかで、その設定からアドリブで逸脱している、なんとも言えないバランス感覚がありました。デタラメ授業、名場面集のビデオなんか、欲しいなあ。

その前の「さあトーマス」を見た後だと、30分という時間が短く感じた。一つ一つのシーンがコンパクトにまとまって、あっと言う間だったが、もう少し長くやってもいいのかな、と思った。各シーンには、それぞれ味わいが深かったので。

8月14日記