野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

桃太郎2日目

桃太郎の公演2日目で、今日が楽日です。

2001年から7年かけて作ってきて、一昨日にゲネプロもやり、昨日も本番をやっているのですが、今日になって、まだまだ作品に修正が加えられてアップデイトされていきます。しかも、作品の解釈を巡って、メンバー間で意見が食い違い、議論になっていき、では、どうやるべきかと根本的な話し合いが始まります。7年たっても、全然完成せずに、いまだにこんなに討論し、試行錯誤しているのは、本番当日にはあり得ないことですが、ぼくはその光景を見ていて、おかしくなってしまいました。ここまできてもフィックスできずに、メンバー間でも解釈の違いが生じ、考える余地がいっぱいあることは、この作品が成功している証だと、ぼくは考えます。

この「桃太郎」という作品は、前半(第1場〜第3場)は、全てが作曲されていて、民話のストーリーを下敷きに組み立てられた音楽劇なのです。誰もが知っている「桃太郎」の話を全観客が共有して、同じ筋書きを安心して鑑賞できるし、楽曲も全て作曲されているので、演奏者も観客も安心して存在していられるのです。

ところが、休憩後の後半(第4場〜第5場)は、30分にもわたる長い長い1曲の即興演奏が続き、舞踊もすべて即興です。そして、「桃太郎」の民話のストーリーから逸脱していきます。ですから、観客一人ひとりが、舞台上で起こっている何にフォーカスして鑑賞するかで、また、それをどう解釈して鑑賞するかで、全く異なったストーリーを一人ひとりが想像し体験することになります。ですから、200人の観客がいたら、200通りの「桃太郎」の後半が生まれてしまうはずなのです。

演じる側も同様で、各自が即興で自分なりの筋書きを想像(創造)しながら、演奏したり演じていきます。そして、指揮者も演出家もいないので、誰一人全体を俯瞰できる全能の神のような存在はいないのが、この作品の特徴です。それぞれが、自分の目の前に見えたこと、自分の耳に聴こえた音、それだけを手がかりに、即興でシーンをくみ上げていくのです。同時多発の出来事は、全体としてどうなっているのかは、分からない。そして、観客の側も、同時多発の出来事は情報量が多いので、その中から情報を選択しながら鑑賞するしかないのです。そして、各自が各自の桃太郎を、創造していきます。

それから、昨日と今日と2回公演をして分かったのですが、公演の度に違ったストーリーを描きます。毎回、唯一決まっているのは、鬼が島で桃太郎が鬼に殺されてしまうこと。そして、その後、鬼が何かが入った巨大な袋を引きずっていることだけです。鬼が一体何を引きずっているのか、どうして引きずっているのかは、観客の想像力に委ねられますし、演者も毎回想像しながら演じています。

昨日の第4場の「たたかい」は、これまで7年間の桃太郎の集大成のような「たたかい」だと、ぼくは感じました。今日の第4場の「たたかい」は、7年かけて作った桃太郎を、また解体し再創造へ向かおうという意思で、新たな1歩のような「たたかい」でした。

桃太郎と鬼の一騎打ちになった時、昨日は最後に鬼が圧勝したことに反発したくなり、桃太郎の死の直後、ぼくは鬼を窮地に陥れいれるべく声を出しました。本来は鬼が一人残される場面に、声を重ねる。その声の存在を無化できるように鬼は舞台上に存在できるのか?そんな問いを鬼に突きつけてみたかったのです。そういう意味で、昨日、ぼくにとっての主人公は鬼でした。その鬼に、何か試練をプレゼントしたくなったのです。

ところが、今日、桃太郎が殺される直前、ぼくは、桃太郎の応援をしていました。桃太郎役のさかなちゃんは、この春に音大の学生を卒業したばかりの、自分の表現を模索しているアーティストです。対する鬼の佐久間くんは、長年のジャワ舞踊の修行と、「さあトーマス」で知的障害者との舞台では、逃げずに真っ向から立ち向かい、その中で何度も「負けました」と実感する体験を積み重ねながら、舞台に存在することを極めてきた人で、最近は圧倒的な存在感を舞台で示しています。

はっきり言って、経験も実力も大きな開きがあるのです。その上、鬼には強力な衣装とお面まで味方します。現時点では、まず勝負になりません。それでも、果敢に挑んでいく桃太郎。

舞台に立って、もう息の根を止められそうな時、それでも、自分が自分の存在をかけてできることは何か?

もし、ぼくが桃太郎ならば、自分の信じる音楽をぶつけるしかありません。今自分ができる精一杯の音楽をぶつけて、それでも通用しなかったときに、背伸びできるだけ背伸びして、自分の力量不足を悟りながらも、必死に演奏するしかないのです。

だから、ぼくは、桃太郎に、歌って欲しかった。彼女が歌を専攻してきて、今、何をやろうと模索しているのかは知りませんが、それでも歌をぶつけて、ジャワ舞踊に吹き飛ばされて欲しかった。その瞬間を見たい、と思って、桃太郎を応援していました。桃太郎は声を出したのですが、そして、その声は非常に表現豊かだったのですが、歌いはしなかった。歌わずして死んでいった。ぼくは、桃太郎に歌って欲しかった。そういう気持ちが、今日のステージを見ながら、ぼくの中では生まれていました。

これは、あくまでぼくの心の中の出来事。きっと観客の数だけ、違ったストーリーがあったことでしょう。ほかの人は、どういう桃太郎の筋書きになったのか、何を感じたのか?色んな人の感想を聞いてみたいです。

観客の皆さん、ご来場ありがとうございました。そして、出演者、スタッフの皆さん、おつかれさま。そして、これまで7年間、桃太郎を見守ってくださった皆さん、どうもありがとうございました。なんだか、7年間続けた漫画の連載の最終回のような気持ちです。

ちなみに、こんな感想文見つけました。
http://booksarch.exblog.jp/d2007-08-22