野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

となり町戦争


フィルムアート社の津田さんと新宿で会う。プラクティカという雑誌の件で。

津田さんは、何年も前からぼくの本を作りたいと思ってくれている人で、前会った時は、ぼくを語るキーワードとして、「多重人格者」、「エッジ」、「スピード感」などをあげていたように記憶する。当時の彼曰く「多重人格者」は野村誠の音楽では実現されているが、野村誠の文章では画一化された人格者になっている、と言っていた。音楽では多用さが表現できるが、文章では音楽ほど雄弁じゃない、ということ。

実際、ぼくは、文章は苦手でもっと伝えられるように書きたいのだが、うまく書ききれない部分はある。でも、伝えたい部分は音楽で言ってるからいいや、と思っていたら、津田さんから、それを文章で本で伝えられると思う、と無理難題をもらったのが、3年ほど前のこと。今日は、それ以来。

で、津田さんのスタンスはあまり変わっていなかった。
「野村さんは、もっと凶暴な面を出さないとダメですよ。」
というように煽ってくる。で、編集者に煽ってもらえるのは、書き手としては大変楽だ。じゃあ、こじんまりまとめずに、少々壊れるくらいの勢いで原稿を書いてみることもできるから。

雑誌のテーマは、戦場。これは、色んな意味だろうけど、野村誠はずっと戦ってきた、という大前提のもとに津田さんは話をする。

ぼくはなぜか、自分が小学生の頃に漫才ブームがあった、という話をした。あれは、テレビという権威の世界で、そのルールを破る若者たちが、一気に現れて、そのルールを全部否定してしまう革命をやって、で、気がついたら、その人たち(ビートたけし島田紳助など)がいつの間にかテレビの世界に回収されて新たな権威に居座った。古い価値観を新しい価値観が一掃するムーブメントを始めて体感した瞬間だったし、そして、その直後にあっという間に体制に回収されていく悲劇を、悔しさをもって初体験した。

いろいろ話した中で、川口さん、柏木くんとの「いいねいいねプロジェクト」の話をしたところ、
「そんな手緩いのでは、ダメですよ。それじゃ、竹村健一の「逆転の発想」と同じレベルだと思われて、野村誠ってこんな程度か、と誤解されます。もっと、野村さん的な面を出していかないと。」
と津田さん。ぼくは、ここで、反論もせず、津田さんの言い分を聞いてみたり、同調してみた。「いいねいいねプロジェクト」は、竹村健一的な手緩いものではない、もっと深く何かに結集するための入り口にいるだけだ、と議論してもいいのだが、それよりも、津田さんが作りたい本のイメージとコラボレーションすることを優先させたかった。で、津田さんの話に追随していき、話はエスカレートして、そこで、ぼくは
「別に、野村誠は天才でも何でもないのに、みんなぼくを天才ってことにして、自分は凡人だってことにして!みんなもできるのに、できないことにして!」
とか、調子にのって言ってたら、津田さんが、
「私は何を怒っているのか!?というタイトルで書いて下さい。」
と言ってきた。ということで、野村誠は何に怒っているのか、で原稿を書くことになった。

ネイチャーアートキャンプのカタログを見せたら、
「この写真、デザイン、これは、子どもの顔じゃない。写真家のイメージした顔だ。」
と津田さん。もっと、色んな表情があったはず、もっとヤバイ顔してたはず、もっとヤバイ局面があったはず、でも、それはカタログには出てこないで、すべてが予定調和に和気あいあいと進んだように編集されている、と津田さんは睨んでいる。

つまり、ヤバイところ見せてよ、ってことなんだと思った。津田さんは、アートとかワークショップとかで、本当に純粋に突き詰めたら、ヤバイところに触れてしまう、そのヤバイところを本にしたいのだと思う。そして、そのヤバイところを文字にできる人は、そんなにいない。ぼくも、音楽ではヤバイところに踏み込めても、文章で踏み込むのには、かなり力不足を感じるけど、でも、ヤバイところが見たい編集者の声を聞いてしまったからには、ヤバイところまで書く決意でいこうと思う。文章を書くことも、一つの戦場なのだ。

津田さんが読んでいた「となり町戦争」(三崎亜記著、集英社)を本屋で買って半分くらい読む。日曜日にワタリウム美術館でやる子どものためのワークショップでは、音で戦争をしてみようか、とふと思う。