野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

バカになっていく

 今日も家で作曲。汚く書いたメモ数枚をもとに、昨日書いたところを清書し始める。清書しているうちに、音符を書きかえて、少しずつ変わっていく。そんな風に時間が過ぎる。

 エイブルアートの太田さんから電話。京都駅で会う。「エイブルアート・オンステージ」の今後をどうするか、の話をフルーツパフェを食べながら。
 最初が肝心だと思う。「エイブルアート・オンステージ」って、今は意味不明だから、面白くなる可能性も、つまらなくなる可能性もある。障害者の参加する舞台表現にどんな可能性があるか?現時点では、まだ想像がつかない。でも、活動を続けていけば、いずれ意味不明ではなく、「エイブルアート・オンステージ」のイメージが定着してしまうだろう。そして、一度、つまらなく定着したら、そこから面白くなるのは一苦労だ。
 「時間に余裕がある限り、色々積極的に関わりたい。」
と返事をした後で、言葉を訂正した。
 「時間に余裕がある、って言ってたら関れなくなっちゃうから、時間に余裕があろうとなかろうと、関わります。今、関わっておかないと、、、最初が肝心ですから!後で後悔したくないから、関れる範囲内で思いっきり関わります。」
と返事する。
 
 最初が肝心だ。2000年に、ASIAS(芸術家と先生でワークショップ型授業を作るプロジェクト)の最初の授業をやったことを思い出した。最初にぼくがやったワークショップが、その後のASIASが規準になったように思う。あの時は、図工の授業をすること自体が新鮮だったが、今にして思うと、もっとハチャメチャに面白いのをやっておいた方が、後続のワークショップがもっとハチャメチャになれたのかな、と思う。そう思うと、最初が肝心だ。

 京都女子大学の「児童音楽」という授業は、ぼくが担当する前までは、「教科専門音楽」という名称で、バイエルとか、コールユーブンゲンとか、楽典とか、カビの生えたような古い授業だったらしい。しかし、ぼくが担当する時から、幸運にも名称が「児童音楽」に変わった。そこで、それ以前の名残りなしに、跡形もなく変えて、楽器を使って寸劇をやったり、ゲームをしたり、楽器を作ったり、歌を作ったり、マンガを作ったり、しょうぎ作曲をしたり、カルタをしたり、絵本を作ったり、、、野村誠の世界を全面に出して授業をやった。おかげで、これが規準になった。だから、ぼくが辞めても、後任の先生たちは、ぼくを規準に授業を組み立てる。もう、3年前まで現存していた古風な音楽教育に戻る可能性は皆無だ。

 以前、作曲家、ピアニストの高橋悠治さんと話していた時に、悠治さんが何だか過激なことを言ったことがある。内容としては、こんな世の中、ぶっ壊れてしまえばいい、的な感じにも聞こえた。それで、どういうつもりなのか、質問したら、
 「戦争が終わった後、何もないところから作り上げていく時代は、いいものだった。」
というような意味の返事をもらった。一度、出来上がった仕組みを変えるのは、かなり大変だが、何もないところに新しい仕組みを作る方が、遥かに楽だ。そして、悠治さんの言葉を聞いて、彼が子どもだったころ、戦争で多くを失った国が、色んなことを始める空気の素敵さ。ゼロから始められることは、大変だが羨ましくもある。
 
 逆に言うと、大平洋戦争とその後、ゼロから新しい仕組みができることを知っている悠治さんにとって、高度経済成長の真只中の1970年代、二進も三進もいかない仕組みが出来上がってしまっていたのは、嘆かわしい限りであったのだろう。
 70年代に二進も三進もいかなかった仕組みも、21世紀にもなると流石に機能しなくなってきて、崩壊寸前だ。いずれ崩壊する色々な仕組みを批判したり補修したりするより、それとは全く違った別の道を生み出すことを、ぼくはしたい。

 ということで、「エイブルアート・オンステージ」は、後悔のないように心してやろう! 

 太田さんと京都駅で分かれて、家に戻り、また、ちょっと楽譜を書く。それから、五島さんと高槻で会うことにした。

 五島さんは、録音をライフワークにしている人で、「空気をそのまま録音する」ことを目指している人。だから、雑音とか、色んなものを消去するのではなく、ライブに存在する音を選り分けずに、全て録音する人だ。五島さんは自分でもマイクを作るが、最近は、市販のマイクを改造して、驚くべきマイクにしていて、ぼくも愛用している。

 今日は、「火の音楽会」のために作ってもらった超低コストのマイクを受け取った。「火の音楽会」では、火の音にフォーカスをあてて、みんなで花火を同時にバケツに入れて消音するとか、火と音を巡る大ワークショップで、今度の土曜日に泊まり込みで第1回キャンプファイヤー実験を行う予定だ。マイクというのは、熱に弱いらしいが、キャンプファイヤーの中の音(焼き芋が聞く音!)をマイクで拾うことはできるのか?マイクを燃やしてしまう覚悟で実験しようと考えている。どこまで耐性があるのか?これは、やってみないと本当に分からない。

 それで、家に帰って、また楽譜を書いていたら、マイアミくんから電話があった。複雑に言葉が入り交じりながら、色んなことを言うマイアミくんの言葉からは、

あなたは表現したい気持ちがあんなにあるのに、どうしてもっと表現しないのか?
あなたは世界を変えることを諦めているのですか?

などのメッセージがあった。裏返せば、

もっと表現してくれよ!
世界を変えようよ!

という意味だ。マイアミくんは、時々、色んな人格になりながら、ぼくに伝えようとしていた。最後には、電話の向こうで激しくギターを弾きながら歌ってくれた。深夜2時半すぎのこと。もうこれ以上、言葉は要らない。ありがとう。

電話の後、再び楽譜に向かった。この曲で世界が変えられるのか?ナマぬるい音を書いている場合じゃない。ぼくは突然バカみたいなファソラシドレミファ、、、のような音階を書き始めた。無機質に見えていた曲が、息を始めた。魂が入る!さらに、音階を書いた。また、音階を書いた。上昇する音階を書いた。だんだんバカになっていく。ぼくの中の池田邦太郎さんが、
「いいんだよ、いいんだよ。もっとバカになっていいんだよ。」
と囁く。これは、真剣に作曲をするためのバカになる階段か!