野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

野村誠は干渉しない 

今日は、家で作曲。P−ブロッのための鍵盤ハーモニカ5重奏を書く。ソプラノ1、アルト3、バス1の編成に決まる。
 なんだか、書いているうちに、ちょっとレゲエっぽいノリが出てきた。鈴木潤さん(P−ブロッのメンバー)の影響で、P−ブロッでは、しばしばレゲエを演奏する。そういった影響があるにしても、ぼくの曲の中にレゲエっぽい後打ちが部分的にでも出るのは、珍しいことだ(とは言っても、テンポがかなり速いし、所謂レゲエとはノリが違うけど)。
 せっかくなので、曲の中に、他の人の影響を意識的に入れてみようかな、と思う。

 彩さんから、メールが来た。「即興演奏ってどうやるの」のCDの「なんちゃって」に大爆笑したとか、ピアノ曲Intermezzo」が気に入ったと書いてある。嬉しいコメント。このコメントを読む限り、David Deutscheの量子コンピュータの本を、物理学の専門家以外が楽しめるように、「即興演奏ってどうやるの」は、音楽療法や音楽の専門家以外の人にも十分楽しめるものである、と言えると思う。

 「い、いや、笑わせるために作った本じゃないのかもしれないけど・・・昨日フルートを吹く友達が来て、本を見て笑い転げていたので、CD聴いてみた。そしたら、もう笑い過ぎて死にそうになりました。」

 「なるほど、音楽屋さんに言わせればこれは「魔法じゃなくて方法」なのね。でも私の目から見れば、すてきな魔法以外の何物でもないわ。特にオスティナート集。子供やお年寄りが遊びながら出す音を音楽にしていくっていう、誠さんの魔法の一端がわかっちゃった。」

 「この本とCD、音楽やる人にもそうでない人にも、たまらなく面白いと思う。でも、「音楽療法のセッション・レシピ集」というタイトルからはほとんど想像しようのない内容だなあ。」

 「CD最後まで聴いて、これ、訂正しようと思いました。正しくは「この本を見ると、音楽療法ってほんとは何をすることなのかがわかりますね」。」

 それで、彩さんから、「平行して存在する宇宙」に関する日記での記述に関して、ぼくの解釈の誤りを指摘したメールが来ました。本人に転載許可をもらったので、転載します。


誠さん

お返事ありがとう。
美術館で多世界について何かしようって、面白そうですね。前から思っているのですが、量子力学が語る多世界って、物理学者だけじゃなくて、芸術や哲学をやっている人にもきっと興味深いと思うんですよ。

多世界を使うと、今までの唯一世界ではできなかったことが色々できます。量子コンピュータは見えない多世界を使って平行計算するコンピュータですが、見えない多世界を使って盗聴を見破る「量子暗号」、見えない多世界を使って情報を送らずにワープさせる「量子テレポーテーション」なんかもあります。

でも新しい世界観は、そういった科学的な話を超えて波及していくものだと思います。
デイヴィッド・ドイチュは、人間の自由意志とか生物の進化の過程を、多世界の文脈で見るとどう理解できるか、自著の中で語っています(デイヴィッド・ドイッチュ「世界の究極理論は存在するか」朝日新聞社、1999)。彼によると、生物の進化というのは、ある特定のDNAの配列が、時間を追ってより多くの宇宙にまたがって現れるようになるプロセスです。

2年くらい前かな、彼とこの話をしたら、生物進化だけでなく、機械の発達もそうですよ、と言ってました。人間でなく恐竜が高度な知的生命体となっている宇宙も実在していて、そこにあるイスとかカップといったものは、当然私たちがいる宇宙とは形が全然違います。恐竜用ですからね。でもトランジスタは私たちの宇宙にあるものとあまり違わない。「情報を高速で処理する」という目的にかなう形というのは、物理法則が同じである限りどの宇宙でも似通ってくるはずで、こうしたものは時間を追うごとに、より多数の宇宙に現れるようになる。人間の世界にも、知的恐竜の世界にも、知的植物の世界にも。それはあたかも「多宇宙の中で結晶が析出してくるような」感じだとのこと。

彼と話をしていると、頭の中にいつも電話帳みたいに重なった宇宙が浮かんできて、それがどんどん分化していって違う宇宙になり、それがまた時々干渉して同化したりして、とてもダイナミックです。これを芸術家が体験したら、何が生まれるのだろう。

デイヴィッドのところには、科学者だけでなく小説家や哲学者がよく訪ねてきますが、その中の一人、ホーガンというSF作家は、「干渉する多世界」という小説を書きました。量子テレポーテーションをモチーフにして現代絵画を描いている画家さんもいるそうです。

塚田さんはドイチュの写真に喜んでくれましたか。嬉しいです。あれはオックスフォードで知り合った、元プロのカメラマンだった根来智美さんという人が撮ってくれたのものです。デイヴィッドはあの目の輝きと声の張りがとても魅力的なんですよね。

そうそう、まことさんのウェブサイト、教えていただいてどうもありがとうございました。楽しく読みました。でも1点、気になったところがあってですね、私の説明が不明瞭だったと思うのですが、多宇宙にいる複数の誠さん同士が干渉することはありません。
「並行する多数の宇宙に、異なった状態の野村誠が存在して」いるのはその通りなのですが、「その全ての状態の干渉しあったものが、観測される野村誠になる」ってとこが、ちょっと違います。

この宇宙で観測される誠さんは、あくまでここにいる、8歳の時に作曲を始めて、ヨークで私と出会って、路上演奏をして、子供たちやお年寄りと作曲している誠さんです。8歳のときに体が弱くなくてスポーツ選手になった誠さんや、ヨークじゃなく中国に行って私と出会わなかった誠さんや、路上演奏中に車にひかれて死んじゃった誠さんがいる宇宙だってあるので、全多宇宙(業界用語ではmultiverseと呼ぶ)を見れば、誠さんは異なる多数の誠さんの重ね合わせです。でも、この宇宙では、この宇宙の誠さんだけが観測されるのです。

もし誠さんが量子コンピュータなら、こっちの誠さんとあっちの誠さんが干渉します。干渉したら、こっちの誠さんとあっちの誠さんが同じ誠さんになります。でも誠さんは量子コンピュータでなく人間なので、そういうことは起こりません。別の宇宙にいる自分の分身と干渉するためには、周りから完全に孤立した、見えない存在でなくちゃいけません。ここの誠さんは私やほかの人と話したり、楽器に触ったり、電車に乗ったりして、この世界のほかのものと色々関わっています。そういう誠さんは、別の宇宙で別のものとかかわっている誠さんと干渉できないのです。誠さんは・・・というか、大抵のものは孤立していないので、際限なく分化していくだけです。干渉によって同化できるものは少ないです。

ですが例えば光子というのは環境と相互作用しにくい、とても孤独な連中です。だからほかの世界にいる分身と干渉しやすくて、私たちもその結果である干渉縞を簡単に見ることができます。雨の日に水滴の表面にできた油膜が虹色に輝いているのなんかがそうです。でももし道具を使って光子が飛んでいるところを見てしまえば、光子だって干渉できなくなります。物理の言葉では、これを「デコヒーレンス」といいます。まんまですね。

光子とか原子みたいに小さなものは、周りから見えないようにそっとしておくことは割と簡単です。でもモノが大きくなればなるほど、周りから隔絶するのは難しくなります。量子コンピュータというのはかなり大きなものです。素子の数にして100とか200とかは要るわけで、そんな大きなものを見ないで外からいろいろ操作して計算させるのは大変です。だから量子コンピュータは、すごく作るのが難しいのです。量子コンピュータの素子はもう3、4年前にできているのに、量子コンピュータの本物が全然出てこないのは、素子を2つとか4つとか組み合わせると、すぐ環境の何かと相互作用しちゃって、別の宇宙にいる分身と干渉できなくなり、計算がうまくいかないからです。

ちなみにここまでの話はたとえ話じゃなくて、全部本当のお話です。

以上、彩さんからのメールでした。
この宇宙での野村誠は、常に観測されている(状態に存在している)ので、他の宇宙の野村誠と干渉できない、とのことです。