野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

いいんだよ、高橋悠治さん

 お昼は渋谷で西村佳哲さんに会う。「全国教育系ワークショップフォーラム」
http://www.skunkworks.jp/akagi/
メールマガジンのインタビューのためだ。この人は、インタビューに録音をせずに、全部その場で文字に書いていくスタイルだった。インタビュー記事にはならないだろ
うけど、インタビュー後に、
「野村さんは、高校時代、道で知り合った小学生とかと遊んでいたわけでしょ?それって、高校に居場所がなかったからですか?」
と質問されて、そうかも、と思った。中学、高校と進むにつれて、周りがみんな大人の真似っこみたいになって、つまんなくなったな、と感じていた。高校時代のぼくは、マニアックに現代音楽の世界に没頭することと、近所の小学生と遊ぶことの二つが楽しかった。

 本屋で高橋悠治さんの1970年代に書いた文章を集めた本を立ち読みする。つまり、悠治さんが今のぼくの年齢の時に書いた文章だ。買おうと思って手に取ったが、ぱらぱらと読んだら、買わなくっていいや、と思って、本棚に戻してしまった。70年代の彼が考えた様々な問題は、さすがにこちらは何度も考え、実践してしまっているものばかりだ。彼の感覚的なピアノの演奏、歌心のある作曲に見える魅力に比べると、彼の文章の魅力は弱かった。

 それに、反体制スタイルに収まるのも、惜しい気がする。そういう意味で型にはまっているのが、残念だ。典型的な『現代音楽』とか、『ヨーロッパ至上主義』などが中心に存在していることを前提として、それにアンチな姿勢をとる。これでは、意外性がないし、読む前から書いてあることが想像がつく。なんだか不自由。そんなの実際中心に存在していないんだから、無視した上で、考えればいいのに!

 とにかく、当時のこの人には、禁止事項が多そうで、禁止事項が多いと、なんかノリが悪くなる。ちょっと生真面目すぎるんだろう、と思った。「〜〜〜〜は、ダメ」と言う主張は、すべてもっともなのだが、「ダメ」を突き詰めると、どうにも音楽が不自由になる。もっと無節操な有り様はないのだろうか?

 「〜〜〜はダメ」と禁止するのとは真反対の存在、池田邦太郎さんと立川で会う。彼は小学校の先生だが、「いいよ、いいよ」を連発しながら、子どもと接しているうちに、とんでもない音楽を創作し続けている音楽の最前線の人だ。今日は、この人と、斉藤明子さんという二人の小学校の先生と夕食を食べた。池田さんが昨日の夜中に思いついたという手作りスライドホイッスルをプレゼントしてくれた。
 「これ、原材料費23円」
というスライド笛は、驚くべき程低音が綺麗に鳴って、びっくり。11月18日には、小学校の合同音楽会で、スライドホイッスルの大合奏を含む池田さんと子ども達との共同作曲が初演されるらしい。

 池田さんと子どもたちの曲作りの基本は、「いいよ、いいよ」。子どものアイディアは、斬新でも凡庸でも、真面目でも、不真面目でも、池田さんに「いいよ、いいよ」と激励されて、曲の中に取り込まれていくことになる。昨年作った曲は、指揮者は一切なしで、曲の最後にクラッカーを鳴らした後、沈黙、そして、ビブラスラップを一発鳴らして終わるらしい。しかし、「いいよ、いいよ」の池田さんでも、音楽教育の主流の「合唱教育」なんかには、アンチな発言をする。「学校教育で、どうして西洋的な発声で、〜〜〜〜〜を歌わせるなんて、意味がないからダメだ。」となる。このダメの話は、あんまり面白くない。それより、池田さんの実践の話を聞くのが面白い。
 批判することによって、対立構造ができるのがつまらない。70年代の悠治さんにしても、批判することによって、『つまんない化石のような現代音楽』の存在を顕在化
させてしまうところが、本当に惜しい。

 池田さんの「いいんだよ、いいんだよ」を70年代の悠治さんに囁いてみる。いや、自分自身に囁いてみよう。

「いいんだよ、別に作曲しなくったっていいんだよ。」
「いいんだよ、いいんだよ。指揮者がいなくってもいいけど、いたっていいんだよ。」
「いいんだよ、いいんだよ。批判してもいいんだよ。」
「いいんだよ、いいんだよ。武満徹を誉めてもいいんだよ。」
「いいんだよ、いいんだよ。オリジナリティなんてなくってもいいんだよ。」
「いいんだよ、いいんだよ。君はバカになってもいいんだよ。」

 高校時代に現代音楽と子どもと遊ぶことを別個に行っていたぼくが、今では、この二つを結び付けようとしている。1970年代。ぼく自身が子どもで、作曲したりし始めたころだ。