野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ウマとの音楽

本日、アコーディオンとピアノのための「ウマとの音楽」(2005)を松原智美さんと演奏してきました。

それにしても、今日この曲を演奏しているのは、いろいろな縁のつながりの結果でして、本当に不思議に思います。ちょっと長くなりますが、書かせて下さい。人の縁とは、本当に不思議ですね。

そもそも、90年代前半にやっていたpou-fouというバンドの「幸福な短い生涯」を演奏したいので、2台ピアノに編曲してくれないか、と大井浩明さんに頼まれたのが、97年のこと。で、その時、pou-fouの別の曲を題材に、もう一曲書いたのが「ナマムギ・ナマゴメ」という曲で、大井さんは、向井山朋子さんと、この曲をオランダやベルギーの現代音楽祭で98年頃、演奏してくれました。

で、そのことを、たまたま、京都であったガムランのコンサートのチラシのプロフィールに書いていたのです。同じコンサートに出演していたフィリピンの作曲家ホセ・マセダが、東京と京都がどれくらい遠いか知らなかったのか、「見に来て」と電話したらしく、はるばる東京から京都まで高橋悠治さんと高橋アキさんが聴きに来てくれて、そこで、ぼくのガムラン作品を聴いて、2台ピアノの曲を弾きたいというお話があり、アサヒビールのロビーコンサートで演奏していただきました。それが縁で、アサヒビールのロビーコンサートの50回記念の委嘱のお仕事も舞い込みました。

そして、アサヒビールの過去のロビーコンサートでどんなプログラムをやったのかを、アサヒビールの方から資料を見せていただき、勉強していくと、アコーディオンの御喜美江さんという方が、面白そうなコンサートをしているので、聴いてみたいな、と思いました。当時ロビーコンサートの企画をされていた音楽評論家の池田逸子さんが、御喜美江さんのコンサートのチケットをご用意していただき、演奏会を聴きに行くことができました(98年)。

そこで、御喜美江さんのコンサートを聴きに行ったところ、本当に素晴らしく感激したのです。池田さんが打ち上げに行こうと連れて行って下さりました。御喜美江さんと面識もなかったぼくは、関係者でもないのに、ここにいて良いのかな、と思いながら、本当にきまずく、申し訳ない気持ちで、そこにいたのです。ところが、御喜美江さんのパートナーであるピアニストのシェンクさんが2台ピアノの作品を探しているという話題になり、池田逸子さんと高橋悠治さんが、ぼくの作品を面白いと推薦してくれて、「これで譜面送って下さい」と御喜さんからお金とオランダの住所を渡されまして、キツネにつままれたような気分で譜面をオランダまで送りました。

すると、ドイツの音大で演奏して好評だったとのことで、翌年、アコーディオンとヴァイオリンとチェロのための新作の委嘱があり、御喜美江さんと松原勝也さんと藤原真理さんのために新曲を書くことになりました(2000年)。

2001年3月にあった御喜さんのリサイタルで演奏を聴き、本当に心底感激をして、お礼に鍵盤ハーモニカ四重奏の「FとI」をアコーディオンデュオに編曲して、譜面を送りました。

すると、それから2年後の2003年に、御喜さんの東京でのリサイタルで、お弟子さんの大田智美さんと二人で演奏していただき、さらには、半年後には、別のお弟子さんグジェゴシュ・ストパさんとも演奏していただきました。そして、この作品は、御喜さんが教えた生徒さんたちが、世界中で演奏されることになりました。ヨーロッパを中心に、100回くらいは演奏されていると思われます。

そして、そんな時に、フランスのリールでのフェスティバルに参加している時、滞在する地域でたまたまアコーディオン・フェスティバルが開催され、フェスティバルの主催者が、マコトのアコーディオンの曲をやろう、と言い出しました。そこで、御喜美江さんに、恐る恐る出演の要請をしてみたところ、既にスケジュールが合わず、代わりに弟子の大田智美を派遣する、とのことで、2004年の春、大田智美さんは、フランスで野村誠のプロジェクトにディープに関わったのです。そこでは、「FとI」を演奏するだけでなく、即興セッションをしたり、子どもとのワークショップに参加したり、まぁ、本当に色々なことがあり、そして、フランス人達の大雑把なオーガナイズぶりを、ドイツ仕込みの大田智美さんの気配りで、いっぱいフォローしてくれたのです。

フランスを発つ前に、大田智美さんに言いました。「本当にお世話になりました。何十年後かに、日本でもこんなアコーディオン・フェスティバルをやりましょう。それから、今回のお礼として、野村誠を一回自由に無料で使えるチケットをあげます。有効期限は、3年(だったかな?)です。作曲でもいいし、結婚式のスピーチでもいいし、一回だけ使えるので、必ず一回使って下さい。」

それから1年後、大田さんは、野村誠チケットを使うことになります。ご自身のドイツの音大の卒業試験で弾くための新作の委嘱でした。ぼくは、喜んで作曲することにしました。大田智美さんとのフランスでの2週間の体験を題材に作曲しようと思ったのですが、それは作品にはならず、気がつくと、野村誠チケットをあげます、と言った直後、ぼくがイギリスのバーミンガムで行った「動物との音楽」のプロジェクトを題材に曲を書いておりました。それが、「ウマとの音楽」です。バーミンガムの郊外の牧場で、たった3頭のウマと、同行した3人のヒトが聴いただけの秘密の体験、幻の即興音楽を題材にしております。

そんな風に生まれた「ウマとの音楽」を演奏し、大田さんは最優秀の成績で卒業され、その後、この作品を何度も演奏し続けてくれました。そして、ぼくも彼女とウィーンやベルリンで、「ウマとの音楽」を演奏し、やがて、「ウマとの音楽」は、彼女の手も離れて、他のアコーディオニストが演奏するようになりました。

そして、不思議なものです。ぼくが大田さんをフランスに招いていた2004年当時、フランスでアコーディオンを学んでいた松原智美さんが、「ウマとの音楽」の作曲よりも後になって、ドイツのフォルクヴァンク音楽大学に留学し、そこで、「ウマとの音楽」の譜面に出会います。

その松原さんも昨年、ドイツから帰国され、「ウマとの音楽」を度々演奏してくれており、そして、今日、ぼくがゲストで演奏することになりました。

譜面がつないでくれる縁って、本当に不思議だなぁ、と感じながら、松原さんのアコーディオンの美しい音色を味わいながら、演奏を楽しんできました。

何十年後かのアコーディオン・フェスティバルの夢が、また一歩近づきました。